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キャンドルスティック・パーク解体 「霧の中に消えるキャンドル」

「キャンドルスティック・パーク」 こんなにロマンティックな響きを持つスタジアムを、他に知らない。
この唯一と言っていいロマンティックな名を持つスタジアムが、ついに姿を消すことになった。

僕がフットボールをかじり始めた80年代。
そのディケイドは49ersのものだった。
ウェストコースト・オフェンスはまだビル・ウォルシュの専売特許で、後にリーグに広める門下生たちはまだ修行中。
ウェストコースト・オフェンスという呼び名も確立しておらず、ニッケル&ダイムオフェンスと呼ばれていた。
そしてそのオフェンスを操るQBは人間ではなかった。
対戦相手に「神とは言わないが、少なくとも人間とその中間にいる存在」と言わせた男。
当時、ラスト2ミニッツから試合がひっくり返る場面にそうそう出くわすことはなかったが、彼だけはひょうひょうとやってのけた。
ラストドライブに緊張しているチームメイトに、観客席の有名人を見つけて伝えるほど冷静だった男は「クール・ジョー」と呼ばれていた。
そんなジョー・モンタナや彼のウェポンと呼ばれていたジェリー・ライス、ロジャー・クレイグ、トム・ラスマン達のプレイぶりは鮮烈だった。

そしてもうひとつ鮮烈だったのが、彼らのホームスタジアムの名前だ。
大男が唸り声を上げながらぶつかり合う競技が行われる場所に全くふさわしくない名前。
「キャンドルスティック・パーク」というとてもロマンティックな名前を持っていた。
霧の立ち込めるサンフランシスコに佇むキャンドル。
まるで絵画のような組み合わせだ。
とてもアドレナリン満タンの男や酔っぱらいが、怒号を飛ばしあう場所だとは思えない。

だからネーミングライツ の波が押し寄せ、名前が変わった時はショックだった。
「3Com」に恨みはないが、「3Comパーク」だなんて呼ぶ気にもなれない。
だから地元住民も「キャンドルスティック・パーク」と呼び続け、その後数回スポンサーが変わったが、どの名前も根付かなかった。
そして再び、このスタジアムは自らの美しい名前を取り戻すことが出来た。

そもそもサンフランシスコ・ジャイアンツのホームスタジアムであったこの場所は、日本人メジャーリーガーも生んでいる。
日本人初のメジャーリーガーである村上雅則
 はサンフランシスコ・ジャイアンツのプレイヤーだった。
そしてなにより、現在の流れを作った我らが「トルネード野茂英雄
」の初登板はこのスタジアム だったのだ。

老朽化したスタジアムは解体されるらしい。
そして新しく出来上がるスタジアムにはこの美しい名前は引き継がれず、その新しいスポンサーの名前を名乗るらしい。
その事自体に反対ではない、名乗らせてあげるだけで年間に数億円の収入が得られるのなら悪い話ではない。
それくらいのことでスポーツという金のかかるペットが長生きできるのなら構わない。
だから、老朽化したのは建物自体ではなく、「金と引き換えに名前は売らないぜ!」という考え方そのものなのかもしれない。
それこそが、老朽化して用済みになったということなのだろう。
やがて名だたるスタジアムは、企業のでっかい出張所のような名前を名乗るだろう。

いたしかたない。
いたしかたないが、やるせない。
このセカイから、またも美しい名前を持つものが失われる。
かくも美しい名前を持つスタジアムには、もう二度と出会うことは出来ないだろう。
なにしろ我がニッポンでは、そのようなものは未だかつて存在したことがなく、これからも生まれる可能性はないのだから。

Candlestick Park (Images of Sports)
Arcadia Publishing (2012-09-18)

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