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ギリシャ vs 日本 シロートレビュー「まだらの勇気」

ある意味、「日本人らしいサッカー」だった。
それは、彼らがセカイに見せつけようとしていた「日本のサッカー」などでは決してなかったが。
普段よりずいぶん早く活性化した日本の朝は、しかし、その失望も普段よりずいぶん早く感じることになった。

重要と言われ続けた初戦を落とし、迎えた第2戦!
この試合こそ、はなから最も重要な試合と位置づけられたもの。
初戦敗退の後の代表に、まだまだ僕らは失望してはいなかった。
発揮できなかった自らの姿勢を振り返り、背筋を伸ばし前を向いていたからだ。
勇気を持って戦う!
これまで取り組んできた日本のサッカーを見せつける!
そう発言する彼らに、これまでの代表には見られないたくましさを感じていた。

しかし、ピッチ上で躍動した勇気は、まだら模様のそれだった。

ギリシャ_日本_-_Google_検索

予想外のスターティングメンバー

大方の予想に反して、大迫、大久保のダブル起用。
言われ続けた大久保のワントップ起用は叶わなかったが、この組み合わせは効果的だった。
ワントップとしてチームに馴染んできた大迫の背後で大久保が自由に動きまわる。
得点への飢えを隠さない二人は、打つべき時に打ち、決められなかった事実に咆哮した。
特に大久保は、ボールを持つとまずシュートのアクションをとり、打てないとわかるとイライラを隠さずにパスを出した。
そして日本代表のセールスポイントである左サイドに、10番の姿はなかった。
ザッケローニ好みの今野もスターターとなり、出場選手中もっとも地味なルックスの男は、その地味で堅実な動きで持ち味通りの輝きを放っていた。
試合の入りは悪くなかった。
前回とは打って変わった落ち着きと運動量。
それは、連動を呼び寄せるようになり、大きなニッポンコールを背景に、いつもの代表を姿を見ることが出来た。
そのうち10人になってしまったギリシャを相手にボール支配率は70%近くとなり、前回の40%をはるかに超えることとなった。

逆転したサイド

これまでの代表のウリは、左サイド。
マンチェスター・ユナイテッドに請われて行った10番と、インテルでキャプテンマークを巻いた長友は、数々の得点源となっていた。
右サイドは地味で、ルックスと飄々としたコメントがウリのウッチーに光が当たることはなかった。
まして怪我から復帰直後の彼には、やれるのか?という疑問符がついて回った。
ところが、コートジボワールにやられ続けて以来、左サイドに光は当たらなくなった。
そして、右サイドが照らされることになる。
ウッチーは、独走しているギリシャの選手から体を張って一発でボールを奪い、ここぞというときには敵ゴールににじり寄った。
その力強さは、自由に動き回る大久保を包容していた。
個人的なMan of the Matchは、ウッチーにしたい!

日本人らしいサッカー

ボールはよく回る。
横や後ろへは。
そして、ペナルティエリアには立ち入ることは出来ない。
決定力不足という名の懐かしい亡霊が、まだ除霊が終わっていないよと挨拶に来ているようだった。
手数をかけて回しているうちに、辛抱していたギリシャにボールを奪われ、冷や汗をかく。
そうしてだんだんと得点のニオイから遠ざかっていった。
「こうやって回していけばいいんです。そのうち決定的な瞬間が来ますから。まだ時間は15分もあります。」
と発現する解説者に、この問題の根深さを感じ、あと15分ボールを回して終わるのだろうと覚悟せざるを得なくなった。
勇気を持ってボールを奪い、勇気を持って長い距離を駆け上がり、勇気を持ってシュートを放つものもいたが、それは全員ではなかった。
ペナルティエリアで仕掛ける能力も役目もあるものが、その勇気を発揮しなかった。
左のサイドバックは、高さで勝り跳ね返し続けるギリシャディフェンダーの練習用のクロスしか上げられなくなり、所属クラブで見せている切り込みはついぞ見せることはなかった。
その仕掛けのためだけに途中で投入された10番は、自らの全てを封印し、汗を流しているだけだ。
こうしてみると、途中から10人対10人の試合になっていたのかもしれない。
しかし、日本代表の10番が最後に活躍したのはいつのことだろう。
僕の若くはない人生を振り返っても、なかなか思い当たらない。
彼が所属クラブで活躍できないのは、解任された監督のせいだと思っていたが、もしかしたら監督のほうが正しいのではないかと思わせるような存在感の薄さ。
同じように数ヶ月間暗い目をしているCBとともに、その暗さは得点という光からもっとも遠いところにいた。
崩して点を取りたい。
しかし、崩せない。
そうであれば、こじ開けるしかない。
パス回しでも、FKでさえも得点のニオイがしなくなった状態では、ペナルティエリアで運命をこじ開けるしかない。
そこで仕掛けてぐだぐだでも押しこむか、PKを勝ち取るか。
そうしなければならない状況で、そうしなければならない役目を持つものが、その勇気を発揮しなかった。
そしてそれは、結果的にこれまでどおり「日本人がやってしまうサッカー」を繰り返し、やりたい「日本のサッカー」と遠いところに行ってしまった。

ザッケローニの憂鬱

この4年間、大幅にメンバーを入れ替えることなく、じっくりと代表を育て上げたザッケローニ。
手応えを感じ、対戦国からのそれなりの評価も得て、満を持して望んだ本大会だったはずだ。
しかし蓋を開けてみると、彼の信頼するジョカトーレは、その力を発揮しない。
発揮して相手に及ばないのではなく、いざ本番で発揮しようとしない。
これには動揺したはずだ。
射撃練習で抜群の信頼性を発揮する銃でいざ決闘にのぞんだら、故障もしていないのに銃から弾丸が発射されない。
こんな状況に陥ったら、次の手を打つどころではないだろう。

本当に守るべきもの

それをやってしまえば、大切なナニカを失うかもしれない。
こうした状況で、必要とされるものが勇気である。
では、日本代表にとっての大切なナニカとはなんだろうか?
長年の呪縛をとく責任を持たされたブラジルとは違う。
前回の優勝国であり、今回の優勝候補の筆頭であったスペインのソレとは違う。
優勝したい!と彼らは口にしたが、そうでなければならないとは世界中も国内でさえも思っていない。
厳しいワールドカップの本大会。
申し訳ないが、予選敗退ももとより織り込み済みだ。
だから、そうした結果のナニカはどうあっても守るべきものではない。
彼らが守るべきは、その姿勢だ。
日本的な攻撃サッカーをセカイに披露してセカイを驚かす!
その勇気を発揮する!
これは、何が何でも守らなければならない。
すきあらばシュートを放つ。
パスが出せなければこじ開ける。
ペナルティエリアを力ずくで蹂躙する。
出来なかったらどうしようという恐れを押さえつける勇気。
0−0で負けなかったという中途半端な安堵感よりも、3−4で及ばなかったが力は全部出し尽くしたというメンタリティのほうが重要だ。
予選がどうしたは関係ない。
もう後1試合しかない機会で、彼らの勇気がまだら模様でなくなることに期待する。

あの、母国の人間とは思えない 温和なイタリア人は、きっとまだ彼のジョカトーレに対する信頼を失っておらず、穏やかに語りかけていることだろう。
勇気を持って戦え!
君らはそうしてきたじゃないかと。
彼との絆も、日本代表が命がけで守らなければならないもののひとつであることは言うまでもない。

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