独白

ブログのプロフィールに困った話と自己紹介

ブログのプロフィールをもうちょっとマシなものにしようと手を付けたところで、ぱったり前に進まない。
どうやら僕のここまでのプロフィールは空っぽで、その空っぽ具合は旅に出る前のウォルター・ミティに劣らないようだ。
メンショナブルな経歴はないし、プロフィール画像一発でフォローさせるほどのルックスも持ち合わせていない。
輝かしい受賞歴も、当然ながら著作なんてあるわけもなく、う~んと唸るばかりで画面は真っ白なまんま。
ここまで一生懸命生きてきたけれど、ここまで書くことがないと、思わず自分の半生を呪ってしまいそうになる。

イマドキの流行りで言えば、詳細なプロフィールとブログを書くに至ったドラマティックなストーリーがあると、読者の共感を呼びブログのアクセス数が上がるらしい。
ところが、こちとら趣味という趣味もなく、ブログを書くに至ったドラマティックなストーリーも持ち合わせちゃいない。
もとより、目的もジャンルも明確ではなく「ぬるっ」と始まったブログだから、そのアイデンティティもあいまいだ。
ブログのジャンルを問われても、「その他」としか答えようがない。
出身地から、出身校、家族構成、飼ってる犬の種類や名前に至るまで名刺の裏に貼り付けて、相手との共通項を探し続けるという営業手法はあるけれど、それには気が進まない。

安い共感は、深い誤解を生む。

もとより、実名でセケンを泳ぐとついてくるアレコレのタグ付けから解放されて、セカイとフラットにつながりたいがためにやっているブログなのだ。
Facebookのプロフィール欄の入力項目を埋めるようには書けるけど、それは御免被りたい。
せっかく「無色匿名」完全実名非公開のブログを始めたのだから、そこは尊重して余分な雑味は省きたい。

しかし、ふと疑問が湧いてきた。
ヒトは、いったいどのように自己紹介というものを行っているのだろうか?
どこの会社にいる、どんな組織にいて、どんな仕事をしている、どこの学校を出て、既婚か未婚か、子供はいるか、どんなスポーツをやっているか、どんな趣味があるのか。
まあ多分、こんなものをつなぎ合わせて自分というモンタージュを形成しているのだろう。
しかし、それらは全てがタグで、自分本体については一切説明できていないように思える。
リアルもネットと同じように、所詮#ハッシュタグのやりとりでしか成立してないということなのだろうか。
もちろん、物事の受け止め方や反応の仕方、それに伴って感じるその人のニオイというものは確かに存在する。
しかし、それはやりとりの積み重ねの中で感じるものであって、自己紹介で披露されることはない。
そもそも、自分がどのように感受するのかなんて、自分の主観では理解できていないだから。
それに「ワタシってこんなヒト!」とのっけから自己紹介するようなおヒトには、痛い目に遭うことも多く、僕にとってその種の自己紹介は一種のアラートの役目を果たしているけれど。

ブログを読んでもらえれば伝わるものもあるだろうし、伝わらないものもあるだろう。
そして、何がどう伝わって、どんなニオイを感じるかは、僕には多分一生わからないままだ。
そこに、決して悪意ではない、ナニカのやりとりが生まれていればいいなぁ…

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