独白

旅に出たいと思うのは

旅に出たいと思うのは、見たい景色があるわけでもなく、名産品に舌鼓を打ちたいわけでもなくて。

もとよりそれは旅行と呼ばれるもので、旅とは生まれも育ちも違うだろう。
区切られた日程の刻んだメニューの中でチェックリストを消していくものを、僕は欲してるわけじゃない。

流浪というコトバにそこまで馴染みはないけれど、流れて行きたい思いは強い。
ここではないどこか、今ではないいつかに逃避したいだけかもしれないが、逃避行は立派な旅だ。
指をなめては風向きを調べ、それで行き先を決めてしまうような旅。
誰かに出会うかもしれないし、誰にも出会わないかもしれない。
それはどっちでもいい。

別にセカイでなくても構わない。
この狭い島国の中でさえ、嗅いだことのないニオイは満ち溢れているはずだ。
パッケージのチェーン店が立ち並んでいたとしても、土地の固有のニオイがまったく違うものに仕立て上げ、違和感のある景色を拝ませてくれる。
そうした違和感に立ち止まり、今どこにいるのか、今いつなのかが曖昧になる。
そうして普段、今どこにいて、今いつなのかが明確であることで見失っているものがクッキリと明確になるだろう。

人生自体が旅であるとはよく言われるが、どうせ旅をするのなら、しがらんだパックツアーは御免だ。
定められた観光地を周り、愛想笑いをしながら、お決まりの驚嘆の声をあげるような群れからは、一歩離れていたいのだ。
望んだつもりもないのに、いつのまにやらしがらんだパックツアーのメンツに入れられ、人生という旅を、もう何度目かの名所巡りのようにすり潰すのは、どうにも我慢がきかなくなってきた。
大人数で繰り返し周る日常というツアーでは、予測できないのはアンラッキーなことだけだ。

何をしているのかと尋ねられれば、旅の途中ですと応える。
次はどこに行くのと聞かれれば、風向き次第と応える。
どこを目指しているのかと問われれば、それがわからないから旅をするのだと応える。

そうして流れてさすらって、その果てにナニカを見つけることもあるだろう。
しかし、そうして見つけるものも、記念写真ほどの重みしかないのかもしれない。
ただ独り、流れて旅することこそを、今は欲しているのだから。

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