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ダークナイト トリロジー「Why do we fall?」

「人はなぜ落ちると?」
「這い上がるためさ」

ノーランのダークナイトトリロジーの劇中幾度となく幾度となく繰り返されるこの会話。
それは大概ピンチの場面で、ブルースが奮い立たなきゃいけない場面で登場する。
それはよくまとまっていたやりとりで、安いっぽい自己啓発講師が枕に使いそうなほどだ。
「みなさーん、人はなぜ落ちるとおもいますかー」という具合に。

https://www.tumblr.com/alog4/134716989193/why-do-we-fall%E3%81%8B%E3%82%89

しかし、ことはそうシンプルではない。
人は、落ちて、堕ちる。
落ちるだけならすぐ上がれるさ、しかし堕ちてしまったならば…
そこから這い上がるということは、一筋縄ではいかないのだ。
そうして、ブルースもずっとケープに落ちたまんまだった。
トリロジーを通してみれば、彼が両親を失ったあの夜以来ずっと暗い洞窟に落ちっぱなしだったことがよくわかる。

落ちた彼は、這い上がる方法が見つけられずに、ブルース・ウェインとして生きることを放棄したまま、あのマスクをかぶるようになる。
ブルース・ウェインとして生きるためにあのマスクをかぶるのではなく、あのマスクの生きかたを守るためにブルース・ウェインを演じているようだ。
空っぽな心のままのブルースは、ゴッサムシティの治安を守るというバットマンの大義によって乗っ取られ、それでこそようやっと日々を乗り越えていけるようになったのだ。
葬るべき光と倒すべき闇。
お互いがお互いの存在理由なのだ。
だからジョーカーが言うように、バットマンはアーカムの精神病院に収容されるような敵が必要なのだ。
そうでなければ、バットマンの存在理由はなくなる。
だから、デント法の成立でバットマンを必要としなくなったゴッサムシティの隅っこで、8年もの間、廃人と呼ばれないのが不思議でしょうがない暮らし、いや、状態に彼はあったのだ。

ブルースとして生きる唯一の希望は、かつてあった。
しかし、その彼女はもういない。
レイチェルとの静かな生活は、ジョーカーの薄笑いに吹き飛ばされ、もとより彼女が選んだ相手はホワイトナイトの方だった。

だから、ベインの登場は、彼にまた生きがいを与えるものである。

情報源: Dâku naito raijingu (2012)

倒すべき闇は、バットマンに存在理由を与えてくれる。
動き始めるブルースの姿に、アルフレッドは、まだマスターが落ちたまんまであることを痛感する。
未だおぼっちゃまは、ブルース・ウェインとして生きられず、あのマスクの男で世の中につながることしかできないのかと。
ワケありの自分を雇い入れてくれた懐の深いマスター、トーマス・ウェイン。
そしてそのマスターの、おいそれとは手に入らない宝物を守りきれていないことが彼にとっての心痛なのだ。
あれからどれだけの時間が過ぎようとも、ブルース・ウェインという人間としての知識と経験で戦うことを放棄して、嬉々としてマスクをかぶる彼は、未だに洞窟の奥に落ちっぱなしなのだ。

https://www.tumblr.com/alog4/138014527798/why-do-we-fall

そうして、彼はバットマンとしても落ちることになる。
バットマンの活動資金となる資産も失い、信頼できる有能な執事を失い、バットマンたらしめる自らの頑健な体も失った。
ブルースは、ベインに殺してくれと言った。
どうせブルースとしては死んだままなのだ、バットマンとしても機能できないのであれば、本当に生きる意味がないと。
もとより、死に場所を見つけるだけに生きていたようなものなのだから。
しかし、あらゆるものを失う中で、これまで仮定であった死が目の前に突きつけられることで、ブルースとしての生への執着が生まれることになった。
すぐそこにある自らの死への高まる臨場感が、本能的に生への執着を呼び覚ましたのかもしれない。

そうして彼は、ブルース・ウェインとして生きることを決意し、自らバットマンを殺すこととなる。
もうマスクは必要ない。
暗い奈落からようやく這い上がってきたのだ。
この先、この日差しを遮るものは必要ない。
そうして、同じようにこの明るい日差しを待ち望んでいた伴侶もいる。

情報源: Dâku naito raijingu (2012)

彼はようやく、人はなぜ落ちるか?ということを誰かに語れるようになるだろう。
長い時間をかけて這い上がったものとして。

アルフレッドは、またもマスターを失った。
しかし、皮肉にもそれは、かつてのおぼっちゃまが本当のマスターと呼べるほどに成長したことを意味するのだが…

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