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夢と狂気の王国

「夢と狂気の王国」見た人のためのレビュー「運と縁と愛と憎」

スタジオジブリのドキュメンタリーと称するものを、テレビでよく目にした。
しかしあれは、あくまで宮崎駿監督の制作現場のドキュメンタリーであって、ジブリそのもののドキュメンタリーではなかったと気づかされる。
ジブリという森のなかでは、人々の物語と感情がツタのように絡み合っている。

ジブリにしのび込んだマミちゃんの冒険

副題が示す通り、そんなジブリにしのび込んだ「マミちゃん」こと、監督の砂田麻美自身によるナレーションで映画は進行していく。
監督の独白とは一線を画す出来の良いナレーションと、ジョン・ラセターに絶賛されたという高い編集能力。
時系列の記録映像でもなく、コラージュとも言えず、気づけば美しい映像とともに登場人物たちの物語が浮かび上がってくる。

高畑勲という存在

アニメファンでもない僕が、この作品を見ようと思ったのは、鈴木敏夫の語るジブリの様々なエピソードが、かなり面白かったからだ
その中に高畑勲という変人の話があった。
宮崎駿という変人のドキュメンタリーはよく目にするけれど、高畑勲という変人は、なかなか人前に出てこない。
この作品にあっても、ラストシーンの数分にしか登場しない。
しかし、周囲の人々が彼のことを語る姿を見ていると、当たり前だが、大きな存在なのだ。
決して人前に姿を見せない森の主のように。

彼が作品を作った後は、ぺんぺん草も生えないというほどの惨状が制作現場に生まれるらしい。
宮崎駿は、そうした状況を生み、気にも留めない高畑勲という存在に、公然と憎しみの言葉をぶつける。
しかし、そもそもは師匠であった彼の能力に対しての敬意は忘れることがない。
そうしたドロドロの愛憎が、遠慮なくスクリーンに叩きつけられる。

『かぐや姫の物語』の制作現場が出てこない理由について、プロデューサーの川上は「ドキュメンタリーを撮っている最中に高畑監督に怒られ」たからだと述べている[2]。

情報源: 夢と狂気の王国 – Wikipedia

宮崎駿の葛藤

情報源: Yume to kyôki no ôkoku (2013)

絵コンテを前に苦悶する姿は、もうお馴染みの光景だ。
ただ今回は、風立ちぬという作品が、また違う葛藤を生んでいるようだ。

戦時中、父親は航空機の部品を製造していた。
のちに、「戦争協力者じゃないか!」と父親と対立もしたという。
そんな彼は、戦争は大嫌い!戦闘機は大好き!という分裂を抱えている。
ずっと抱えた葛藤は、父親への気持ちにも及んでいるのだろう。
しかし、たまたま撮影中に届いた手紙は、戦時中に空襲を受けた折、父親に助けてもらった人からのお礼が綴られていた。
蘇った記憶に、72歳になった息子は、28歳だった頃の父親を思い、折り合いをつけようとする。
そうして新たな葛藤を抱え込んでいるであろう息子の宮崎吾朗も登場する。

庵野秀明の声優起用

情報源: Yume to kyôki no ôkoku (2013)

話題になった主役声優への起用の舞台裏も、決して奇をてらった訳ではなく、本当に求めたイメージ通りの声であったことがよくわかる。
もちろん、つぶやくように提案する鈴木敏夫には、何らかの計算はあっただろうが、予想外の提案にだんだんと高まっていく宮崎駿の姿が面白い。

最後の最後で、ラストシーンの台詞が変更となる。
それを喜び、噛みしめる庵野秀明の姿が印象深い。

運と縁と愛と憎

誰とどんな風に出くわすかは運による。
人の力ではコントロールできないそれが、縁と呼ばれるものなのか。
縁でつながれた人と人。
一緒に仕事をすることになったり、親子になったり…
その中でもたらされる喜びと苦味。
愛と憎とは、マーブル状に混ざり合うが、決して溶け合うことはない。
「縁は異なもの」と開き直るには、積み重ねた時間が大きすぎるだろうか…

大塚康生と徳間康快

運と縁という点で言えば、宮崎駿高畑勲の2人を見出し、鈴木敏夫に引き継ぐまでは、公私ともに実質プロデューサーのようだったと言われる大塚康生の物語も見てみたい。
なにせ、26歳の時に、麻薬取締官からアニメーターに転身したという異色中の異色。
そこに、徳間康快も絡めて、スタジオジブリが始まるずっと手前の物語から見てみたい。
アニメ嫌いを公言し、変人を変人として描ける北野武監督で映像化されないもんかなぁ…

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