ワシントン・コマンダースが、「ほぼ」Super Bowl Era のユニフォームをプライマリーに採用する。
「ほぼ」再現されているからこそ、あのロゴの不在が際立つものになっている。
そうして、待ってましたとばかりに、発表されたばかりのオルタネートのロゴが、文字通り「槍玉」に上がることになった…
COMMANDERS’ NEW UNIFORMS ARE HERE!
「ほぼ」Super Bowl Era であるのは、あのロゴがないからだ。
ロゴ以外は完璧な復活であるが故に、その不在は、かつて大量に存在したデザインコピーチームのように思えて、本当に残念でならない。
そうした批判があることを知ってか、チームは、オルタネートのヘルメットのロゴだけを変更した。
かつてレッドスキンズ時代にも使用していた「槍」のモチーフを取り入れたのだ。

Behold The Burgundy & Gold | Washington Commanders – Commanders.com
We are not your mascot
だが、これがいけなかった。
待ってましたとばかりに、ネイティブ・アメリカンの一部からクレームをつけられている。
A new Washington Commanders logo featuring a spear has drawn criticism from Native American organizations and prominent people in Native American communities. https://t.co/g8I9L70cTE
— USA TODAY (@USATODAY) April 17, 2026
📸: Provided by Washington Commanders pic.twitter.com/dJ4mGHAeZq
「先住民を『槍を持って戦う野蛮で攻撃的な戦士』として描くこと自体が、古臭くて偏ったステレオタイプ(固定観念)の押し付けだ」と批判しているのだ。
先住民の生きた文化や歴史を、スポーツチームのエンターテインメントのための「記号」や「闘争心の象徴」として消費・利用するのはやめてほしいということらしい。
だが、別のネイティブ・アメリカンの団体は、あのロゴを、John Two Guns White Calfをモデルにした、あのレッドスキンズのロゴを復活させるべきだと主張している。


ネイティブ・アメリカン・ガーディアン協会(NAGA)は、アメリカ先住民の画像とチーム名は残すべきであり、ロゴを廃止することは歴史を消し去ることだと主張している。
ワシントン・コマンダース Super Bowl Era オルタナティブ・ユニフォームを発表 | ALOG
誰かさんを揶揄するためだけに、わざわざロゴを貼り付けてブランディングの柱にするなんてことがあり得るのだろうか?
太平洋戦争の最中でさえ、出っ歯で眼鏡をかけてキモノを着た日本人をロゴにするようなチームは存在しなかっただろう?
ブランドとは、ロゴとは、それが誇らしいからこそ身につけようとするものなんじゃないだろうか。
槍とは、勇猛な戦士であった彼らのアイデンティティーを象徴するものだったはずだ。
そうしたものをどんどんデリートしていくことは、尊重されるべき彼らのカルチャーも喪失されることにはつながりはしないのだろうか。
行きすぎたキャンセル・カルチャーの末に訪れるのは、人類全体の記憶喪失なのかもしれないね…
僕にはわからない線引き
それにしても、なぜ、ワシントン・コマンダースばかりが「槍玉」に上がるのだろう。
カンザスシティ・チーフスは、滞りなく通常営業中。
「チーフ」とは、ネイティブ・アメリカンを指しているわけではない。
チームを熱心に誘致した当時のカンザスシティのバートル市長のニックネームが「チーフ」だったからということらしい。
しかし、ヘルメットにはアローヘッドが燦然と輝き、トマホークチョップのボリュームが下がったって話は聞いたことがない。
で、フロリダ州立大学セミノールズは?
レッドスキンズが、最終的に、そのブランディングを放棄した直接の引き金は、NIKEが、そのロゴのついた商品を販売しないと決定したからだ。
では、彼らは、チーフスやセミノールズの商品は、どうしてるの?
幾つになっても情弱な僕は、世の中の基準がわからない。
ヒトラーとナチスは、どんなにこき下ろしても大丈夫で、数多のフィクションでも悪役になっている。
しかし、それよりもはるかに多くの人を虐殺したスターリンや毛沢東については、話題にもされずフィクションでも取り扱われることはない。
ヒトラーと同名の政治家が誕生するとBBCは取り上げるくせに、ヨシフと名付けられた政治家が日本に誕生しても、一行たりとも記事になることはない。
過去のユダヤ人のホロコーストはいまだに研究しているくせに、現在進行中のウイグル人の職業訓練センター(仮)については、誰も言及しない。
きっと国連の人権委員会が定義する人権と、僕が理解している人権とは、別のものなのだろう。
そう、「平和」活動という名目のもと、罪のない警備員と女子高生の2人もの生命を奪ったアノ人たちの「平和」の概念が、僕のものとは違うように…
