坊主頭と餃子女
この二人がはじめて僕らの前に姿を表した時、一体誰がこれほどせつない物語を予見できただろうか。
坊主頭は、正真正銘の一張羅を着続け謎の紙袋をぶら下げて馬鹿でかい声を張り上げるしか脳がなかったし、餃子女は、通常の量をはるかに超えるニンニクを投入した餃子を、これまた常人が食す量を遥かに超える量を消費し続けていた。
だっさい一張羅の坊主頭と、これまただっさい一張羅でカートを引き摺る女。
この二人に愛という以外には呼び名を知らない物語を見せつけられることになるとは、一体誰が予見できるというのだろう。
先人類と現人類、そしてガイア
スペックホルダーと便宜的に呼ばれていた先人類の末裔と現人類の戦いが、この物語の背景である。
ガイアと呼ばれる地球という一つの生命体と対話しながら共生していた先人類と、宇宙からある日降り注いできて勝手に繁殖の限りを尽くしてきた現人類。
現人類にはガイアと対話する術も意思もなく、ただただ己の欲のために繁殖していく。
そのためには、先人類をも駆逐し、利用さえする。
神と呼ばれることもある先人類は、そうしたゴミから幾度と無くガイアを取り戻そうとしてはカタストロフィーを仕掛けていた。
何度繰り返しても同じ結果を迎えてしまうことに飽き飽きしていたセカイは、あえてファティマ第三の予言として人類にヒントを与え、その鍵である人物を当麻紗綾にすることにした。
ご丁寧にその予言の中に当麻紗綾という存在を織り込んで。
結果から言うと、セカイでさえもガイアの意思を逸脱していた。
ガイアとの対話を忘れ、先人類の生存支配欲に溺れてしまっていた。
だから、ガイアの意思を正しく聞き取っていたのはセカイの兄である卑弥呼のみであった。
彼は、現人類の権力者達を泳がせながら、当麻紗綾というソロモンの鍵が正しく発動される時を待っていたのだ。
先人類の怨念とも言えるセカイ達を自らのカラダに内包したまま無間地獄に沈むことによって、当麻紗綾はそれらをこの世界から消し去った。
ガイアという生命体は慈悲深く、プライドの高い先人類も、我欲の塊であるゴミのような現人類も、そのどちらの存在をも許容した。
それはアガペーと呼ばれるような無償の愛なのかもしれないが。
だからガイアは、文字通り先人類の鍵である当麻紗綾と、ただただ生命力の塊に過ぎない現人類の代表である瀬文焚流、この二人に全てを委ねたのかもしれない。
先人類と現人類の諍いの先のステージに、ガイアも一歩踏み出したかったのだろう。
潤にスペックホルダーかと言わしめた瀬文の驚異の生命力には、ガイアの後押しが存在していたように思える。
ベアトリーチェとしての当麻紗綾
現人類としての当麻を愛する瀬文は、スペックを使う当麻を制し、コチラ側にとどまるように説得を続ける。
しかし、彼はスペックを存分に発揮する彼女をある時許容する。
それは、当麻が先人類の末裔だろうとソロモンの鍵だろうと、そんなことは問題ではなく彼女自身と正しく絆を結んだからかもしれないが。
そうして、その絆は正しく瀬文に引き金を絞らせる。
以前ためらったそれを、彼は今度は躊躇なく遂行した。
そうすることでしか終わらせる手段が見つけられなかっただけではない。
彼女が命を賭してそれを願っているからだ。
彼女はそうすることを正しく望み、そうしてくれる相手が彼であることを望んでいたからだ。
そして、このままでは、彼女は彼女以外のものに変容してしまう。
彼女が彼女のまま全うできるためには、自らがそうするしかない。
そしてまた巡りあう。
その確信があった。
いや確信などはどうでもいい。
必ずそうしてみせる。
それくらいの絆が俺たちには存在するはずだ。
「絆なめんな!」
とココロで叫び、「来世で待ってろ」と絞りだすように呟いたのだ。
地獄を旅してベアトリーチェに出会ったダンテのように、瀬文は当麻に出会ったのだろう。
かわいがっていた志村という後輩を自らの手で殺したのかもしれないという地獄から始まった旅は、当麻という存在に出会うことで至高の愛にたどり着く。
当麻を撃ったことで収束した世界は、カタストロフィーの気配が消えて穏やかな青空が広がっている。
世界は救われたのかもしれないし、単に別の世界が始まっただけかもしれない。
しかし、もうそんなことはどうでもいい。
またこうして、彼女と出会えた。
お互いがお互いを見つけられて、こうしてしっかりとその手が握れるのなら、その他に望むことなどあるはずもない。