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「愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」伊集院静 レビュー「作家の氷」

苦い話を、なんでわざわざ読もうとするのだろう?

どうしてわざわざ金を払ってまで、人様の苦い話を読もうとするのだろう。
苦い話なら、自前で千夜を超すほど抱えてる。
全国に支店展開して売るほどに抱えているというのにだ。
理由も動機もわからぬまま、いつだってこの人の書いたものを一気に読み上げてしまう。

この話は、「なぎさホテル」のちょっと後、「いねむり先生」の時期を挟んで語られる伊集院静の自伝的小説。

奈良、梅田、函館、十三、小倉、玉野、新宿、立川、福島、難波、浅草、歌舞伎町、六本木、神楽坂、いわき平、矢来町、向島、天王寺、京都、向島、横浜、十三、池袋、倉敷、赤坂、塚口、福島、麻布、向島、安来。
チャプター代わりに書かれた土地の名で起こる物語、というより遭遇するシーンが積み重なっていく。
なぎさホテル」のように明確な再生のメッセージはなく、「いねむり先生」のような物語全般を包み込むあたたかさや優しさは感じられない。
主人公と三人の愚者が過ごす時間がただただミルフィーユのように重なっていく。
知っている土地の見たことのない表情を知り、知らない街の見たことのある表情が垣間見える。
知らない彼らの息遣いを感じ取り、知ってる誰かさんにも知らぬ表情があることにハッとする。
死んだ作家の香典を差し押さえる出版社の存在をはじめて知り、見知らぬ土地で酔いつぶれていく感覚を思い出す。
再生を果たしていく主人公とクロスオーバーするように社会から外されていく三人の愚者。
綿々と綴られていく感情は、書かれていない自前の感情と記憶も引っ張りだして、とても味わいなんて表現できない苦味を体現させる。
ああ、だからこの本は氷なのだと気づいた。
強い酒をオン・ザ・ロックにしてくれる、強くてしっかりとした氷なのだろう。
とてもそのままでは飲めない強くて苦い人生というやつに、どろりと角逐を与えてくれる。
甘くなるわけでもなく弱くなるわけでもないが、時間という強い味方とともに角逐を与えてくれるのだ。
だからといってそれは、折り合いをつけるというところまではいかないが。

作者が言うように、人間の営みを書くものが小説であり、それを書くものが作家という選ばれた人間であるのなら、そうでない僕は、彼らの創りだす氷をわけてもらうことしか出来なのだろう。
そうして、自らのドラマティックさの微塵もないただただ苦いだけの人生を、分け与えられた氷の力でちびちびとやっつけることしか出来なのだろう。
だから、序文を訂正するならば、わざわざ金を払って人様の苦い話を味わっているのではない。
売り物にもならないてめえの苦い人生を、どうにかやっつけるための氷が欲しくてページをめくるのだ。

なんだか一杯欲しくなる。
連れはいらない。
ただ、愚者だというのなら話は別だ。
ともにグラスを傾けようじゃないか。
もっとも、自分ほどの愚者を他には誰も知らないが。

愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない
伊集院 静
集英社
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