独白

奇跡の一枚とフィルター

「カメラマンなんですか?」
ほぇっ?
人は本当に驚くと、口からリアルに、こんな奇声が出る。
いや、違いますと答えると
「じゃ、ライターさんなんですか?」
とまっすぐな目で問いかけられる。

流行らないブログを何年も書いているという点で、ものすごく広義の意味ではライターなのだろう。
しかし、それによってガンガン報酬を稼いだこともなく、誰かさんから、書いてよと依頼が来たこともない。
結局のところ、プロとアマチュアの境目は、仕事の依頼が来るかどうかだ。
故に、狭義の意味では、ライターではない。
当たり前のことではあるが。

こうした思考をコンマ数秒で巡らして、このまま、この言葉をぶつけるのは不適切だと瞬時に判断して出てきたのは
「いえいえ、違いますよ〜」
という、大変当たり障りのない簡潔な回答だった。
我ながら、よくできたものだ。

どうして、そんなふうに感じたのか聞いてみると、答えはシンプルだった。
「写真が綺麗だったから」
リアルな顔見知りで、僕のSNSアカウントを知っている稀有な人は、逆に言えばソーシャル上の僕しか知らない。
年齢も素性も不詳な男がSNSにあげた、たまたま出来の良かった一枚の画像が、彼女のプロファイリング魂に火をつけたのかもしれない。

色合いが綺麗なのだと褒められた。
最近は、出来合いのフィルターだけでは満足できず、自分で好みに合うようにチョロチョロ調整してたのが、結果的に上手くいって奇跡の一枚が生まれたということなのだろう。
でも、使っているアプリも、ほぼほぼApple純正の写真アプリで、たまにVSCOに頼る程度。
Adobeがらみのものは、試そうと思っては、いつも挫折している。

でも、振り返ってみれば、iPhoneで写真撮るようになって長い時間が経っている。

きっかけはInstagramだったと思う。
人々が、まだTwitterをポジティブな存在と好意的に受け入れていた時代に、今度は、画像版として誕生した。
テキトーに撮ったそこらのものが、フィルターの力でグッと味わい深いものに変化することが面白かった。
まだ「映え」なんて言葉はなかったし、インフルエンサーなんて謎のトライブは出現していなかった。
どこかの誰かさんのアルバムを覗かせてもらっているはずだったのが、ナニカを売りたい人たちに、カタログやポートレートを突きつけられるようになっていった。
Facebookに買収され、しばらく残っていた創業者も、ついには姿を消した。

Instagramを始めた当初、そんな写真をネットにあげて、何が楽しいの?
と言っていた人たちは、Facebookにのめり込むと、やっぱインスタだよね〜と大挙して押し寄せてきた。
SMSの便利さを鼻で笑っていた人たちが、LINEにどっぷりはまり込むようになった頃だ。

居心地のいい喫茶店だったはずが、いつの間にか、大声のグループが跋扈するフードコートに成り果てている。
もうアカウント閉じちゃおうとも思ったが、広がりすぎたおかげで、これだけで繋がっているお方もいて、最後の決断ができずにいる。
でも、そのおかげで、誰かに綺麗と思ってもらえる一枚が届けられたのなら、十分にその役割は果たしたと言えるのだろうね。

写真も、いつまで経っても上手くならないが、同じようにテキストも、いつまで経っても上手く打てない。
このブログも、まあまあ何年かやっているのだが、文章力というやつは、一向に上達するコトはない。

そうだ。
テキストにはフィルターが、かけられないのだった。
文章にも、ビビッドやドラマチックなんてフィルターがあれば、このブログも、少しはマシな見栄えになるのかもしれないね。
しかし、修正を効かせすぎたグラドルが誰だか判別できなくなるように、上手になりすぎたテキストには、僕という存在はいないのかもしれない。
素性にフィルターかけて、あらぬ誤解を生むのなら、このまんま、自然な彩度というやつを晒していく方が、随分とマシなコトであるはずだよね…

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