Amazon prime videoで配信されているAIR/エア。
物語は甚だシンプルだ。
ただただ、ナイキがマイケル・ジョーダンとの契約に漕ぎつけるだけのストーリーだ。
しかし、こうも説明できる。
アンダードッグが引き起こしたビッグアップセットの物語と。
なにしろ、1984年のナイキのバスケット部門は閉鎖寸前。
そして何より、マイケル・ジョーダンはナイキが大嫌いだったのだ。
シェア17%
1984年のバスケットボール市場において、ナイキが占める割合はわずか17%。
その上には、29%のアディダス、そして54%とほぼ市場を牛耳るコンバースがいる。
そう、コンバースはマジック・ジョンソンとラリー・バードというライバルごと抱え込んで大成功を収めている。
そもそも僕が、AIR/エアを見る直接の動機になったのは、彼らのグレートライバリーを描いた「ウイニング・タイム -レイカーズ帝国の誕生-」だ。
情報源: 「ウイニング・タイム -レイカーズ帝国の誕生-」観た人のためのレビュー | ALOG
ここでは、マジック・ジョンソンの2つの失敗が描かれているが、そのうちのひとつが契約するシューズメーカーの選択を間違ってしまったことだ。
1971年に最初の「スウッシュ」マーク付きのシューズが発売されたばかりの知名度が低いナイキのオファーを断って、マジック・ジョンソンはコンバースと契約することを選ぶ。
コンバースの条件は、8万ドルのキャッシュ。
しかし、まとまったキャッシュを支払えないナイキは一足につき1ドルの収益分配を申し出る。
そして10万ドル分のストック。
この株がポイントだ。
当時の株価は0.18ドル。
そこから740倍にもなった現在の株価は134ドル。
あのときの10万ドルは、75億円ほどに膨らんでいたはずだったのだ。
現在のエア・ジョーダンの価値
だが、現在のエア・ジョーダンの価値は、それどころじゃない。
現在も新作が発表され続けるエア・ジョーダンは、年間40億ドルの売り上げがある。
そしてマイケル・ジョーダンは、その中から年間4億ドルの収益分配を受けている。
決して人間は神様にはなれないが、ブランドになることはできる。
そして、人がブランド化するとどんなことが起きるのかというひとつの事象が、この数字にあらわれている。
25万ドルとメルセデス
そのためにナイキが最初に支払ったのは、年間25万ドルとメルセデス。
マジック・ジョンソンが8万ドルだったことを思えば、スター選手と契約を結ぶマーケティングの効果が見え始めた頃なのだろう。
だが、その手法で成功したナイキ自身でさえ、そのことに強い確信を持てていなかったはずだ。
なにしろ彼らの当初の予算は、3選手との契約分で25万ドルしかなかったのだから。
Just Do It
オニツカから、あらゆるものを盗みナイキを創業した海賊のようなフィル・ナイトも、すっかり上場会社のCEO然としている。
しかし、最後に賭けに近い決断を下した彼の背後には、きっと海賊機がはためいていたはずだ。
そして、この映画ではJust Do Itの由来も語られる。
だから、フィル・ナイトが腹を括るとき、それは由来どおりの心持ちだったはずだ。
結果としてはイージーな賭けだった。
それまでナイキのシューズの最高収益は300万ドルだった。
しかし、エア・ジョーダンは初年度だけで1億6200万ドルを売り上げたのだから。
余談だが、アディダスの創業者、アドルフ・ダスラーについても触れられている。
ソニー・ヴァッカロとデロリス・ジョーダン
物語の中心は、なんといっても、この2人だろう。
試合のビデオの些細な動きから、マイケル・ジョーダンが大学一年生ながらチームの中心選手であることを見抜いたソニー・ヴァッカロ。
そして息子の才能を冷静に見つめる、聡明で思慮深い、マイケル・ジョーダンの母、デロリス・ジョーダン。
エンドロールで流れるマイケル・ジョーダンの背筋の伸びたスピーチを見れば、いかに偉大な母親だったのかが感じ取れる。
確信と情熱と、アンダードッグ特有の八方塞がりの状況が、ソニー・ヴァッカロを行動に駆り立てた。
しかし、自身の哲学と重なる行動にデロリス・ジョーダンは感じ入る。
こうして嫌がる息子を説き伏せ、オレゴンのビーバートンくんだりまで息子を引きずってやってくる。
綿密なスカウティングに基づくゲームプランを発揮するフィールドは、ナイキ本社の会議室。
ビッグアップセットは、どのように成就するのか?
ビッグゲームが如きプレゼンテーションを、是非ご覧あれ。