僕がこの作品を観るまで時間がかかったのには、いくつかの理由がある。
妻の不貞という、ありきたりだが確実に痛みをもたらす事柄のみが強調されたまったくの凡庸な作品であれば、解決されないネガティブなサムシングを、またも自分の人生に抱え込むことになる。
その在庫は、管理できないほど大量に抱え込んでいるのだ。
さあ、もうひとつなんて決断は、容易く下せるわけがない。
さらに3時間という上映時間。
アカデミー賞がどうしたなんてキャッチコピーに引っ張られて凡庸な作品で3時間も修行を積むには、僕の人生には残り時間は多くない。
それでも重い腰を上げたのは、タバコのシーンが引っかかっていたからだ。
そう、ともにクルマでタバコを吸う、あのシーン。
あなたが喫煙者なら、その意味が深く理解できるはずだ。
#クルマ
自分のクルマほど、パーソナルでプライベートな空間はないだろう。
ある意味では、そこは自分の部屋よりも侵されざるべきスペースのはずだ。
家福の場合、そのプライベート感はより高まる。
なぜなら、死んだ妻の肉声がカセットテープを通して流れ続けているからだ。
台詞を覚えるためのルーティンと言い張る作業は、謎を残したまま死んだ妻との終わらない問答にしか見えない。
そんな神聖なスペースに、時間に、おいそれと他人が入り込んでいいわけがない。
Hidetoshi Nishijima and Tôko Miura in Drive My Car (2021)
情報源: Drive My Car (2021)
#みさき
人が人を信頼する時、それは仕事ぶりを認めた時だ。
僕たちは多くの場合、仕事を通して人と繋がっている。
共に働くものとして、あるいは、そのサービスを享受するものとして。
どんなに自分を売り込むプレゼンテーションスキルに長けたものでも、仕事ぶりには嘘はつけない。
それは細部に、いや、あからさまに滲み出てしまう。
みさきは、そうして家福の信頼を得ていく。
ひとつひとつの挙動が体感される運転という仕事で。
家福は、みさきの信頼できる仕事ぶりをカラダで感じとる。
問われるまで、それが必要とされるまで口を開かないことも、彼女の信頼性を高めている、
安易な自分語りで、すぐに共感を勝ち取ろうとする昨今の風潮とは遠いところにいる。
ひとつのクルマを、みさきはドライバーとして、家福は同乗者として、それぞれのパーソナルスペースとして正しく共有している。
それぞれがパーソナルスペースを保ちながら、同じ方角に向かっていくというのは、人生というものをやっていくのには最適なスタイルであるのかも知れない。
そして、そうした相手とクルマという神聖なスペースで交わされる会話は、他のどこでも生まれようのない深く親密なものとなる。
車内で家福の妻の秘密に関わる話になっても、彼女は同席を許されたままだ。
#高槻
高槻は、みさきの逆の存在と言える。
問われずとも、自分語りを始めてしまう。
望まれてもいないのに、クルマに乗り込んでくる。
そうなるであろう状況を作り上げる。
物言いは丁寧だが、押し入ってくる意思の強さは、拒むことを許さないだろう。
仕事ぶりとしても、私生活でも、家福の信頼を得たとは言えない。
そうしてクルマに押し入るように、彼は家福の人生にも押し入ってきた。
彼は罪を告白するかわりに、家福の妻から聞かされた物語を語り始める。
それはベッドでしか生まれることのない彼女の創作であり、家福も知らない物語の続きを、この男は知っている。
そんな男が、あなたは彼女のようなイイ女と長く暮らせたことに感謝すべきだと言い放つ。
家福は、ワーニャ伯父さんを、ただの役として冷静には受け止められなくなっていく。
#タバコ
タバコの代役は誰にもできない。
それは時にパーソナルなものであり、壁を作るものであり、共有するものでもある。
家福が妻の情事を目撃した直後、その瞬間に折り合いをつけるために点けたタバコ。
高槻という、まだ分かち合えない存在との、文字通り煙幕としてのBARでのタバコ。
しかし、みさきとのクルマの中でのタバコは、分かち合うためのものだ。
ただ、同じ場所でタバコに火を点ける。
そうして黙ってタバコを吸う。
会社の喫煙所で当たり障りのない話をしながら、そのタバコをやっつけるのとは意味がまるで違う。
何も語らず、同じ場所でタバコを吸うことで、ナニカを分かち合う。
そうしたシーン、存在は、かつて僕にもあったよなと思い出した。
それはあまりにも昔のことで、そうした場面があったことを僕はすっかり忘れ去っていた。
フラッシュバックする記憶は鮮烈だが、その時間が2度と手に入らないであろう寂しさもまた強烈なものだ。
誰かさんと、ただ黙ってタバコが灰になっていく時間を分かち合うなんて、もうこの先ないのだろう。
#折り合い
Tôko Miura in Drive My Car (2021)
情報源: Drive My Car (2021)
喪失したものが大きすぎる物語に、簡単に再生などと用いることはできない。
しかし、ラストシーンに、家福とみさきがしっかりと折り合いをつけMoving Forwardしたことは描かれている。
みさきは、背負っていくと言っていた顔の傷跡を消した。
髪型も整え、服装もタフなものではなくなった。
あのクルマ、サーブ900ターボはどうしたのだろう?
ふたりは、共に新しい生活を始めたのだろうか?
それとも、家福が亡き妻との思い出に折り合いをつけ手放したのだろうか?
それはどちらでも構わない。
いずれにせよ彼らは、「長い長い日々と長い夜」を生き抜くための折り合いをつけたはずだから…