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F1 ザ・ムービー チーム・ロータス時代のソニー・ヘイズとルーベン・セルバンテス

「F1 ザ・ムービー」観た人のためのレビュー 「F is for …」

Apple TVで『F1 ザ・ムービー』の配信が開始された。
モータースポーツに詳しくないからと、後回ししたことを僕は、ひどく後悔した。
これは、劇場において体感するべき映画だった。
そうして、「F」の頭文字をもつ別の言葉が、ココロに居座ってしまった。

音に変換されたスピード

F1ドライバーのGOATの一人であるルイス・ハミルトンが、この作品の共同プロデューサーの一人に名前を連ねている。
いや、失礼。
もうナイトの称号を与えられた彼を呼ぶには、「サー」が必要になる。

すなわち、現役ドライバーが体感している、コクピットの中での音の聞こえ方も反映されているということだ。
時速300kmでぶっとんでいる世界での音の聞こえ方、それはもう、スピードが音に変換されたと言っていいんじゃないだろうか。

そこにピットとの無線による会話の音質、そして近すぎる並走車のライブな映像、それが混然となったとき、ぎゅっと狭いコクピットに押し込められたような感覚に陥る。

おウチで視聴していてこうなのだから、劇場でのそれは、映画鑑賞なんて穏やかなものなんかじゃなく、搭乗という体験に近かったんじゃないだろうか。

F1というチーム戦

そうして、カラダがサーキットの臨場感に乗っ取られると、今度は脳がFormula One というチーム戦のストラテジーの理解を迫られる。
そう、F1は個人競技ではない。
チームスポーツなのだ。

Beginner’s Guide to F1

そりゃ、そうだ。
ドライバーだけではレースを走れない。
メカニックがマシンをレースごとにセッティングし、ピットクルーの作業タイムはダイレクトにラップタイムに反映される。
それにチームから走れるドライバーは、一人じゃない。
二人が走ることが可能だよね。
それぐらい、情弱の僕でも知っている。

OK!
じゃあ、ヨーイドンで、二人とも無事に完走してね。
いい結果が出るように祈ってるよ。

これまでの僕の理解は、この程度だった。
そう、彼が言うように、祈りはストラテジーじゃない。

C is for combat

彼とは、ソニー・ヘイズのことだ。

No.1ドライバーとNo.2は、それぞれのリザルトを求めて、それぞれが単独で走っているわけじゃない。
チームとしての結果を掴み取るために、緊密に連携しなければならない。
元々のマシンの戦闘力が劣る、チーム APXGPにおいては、それを融合まで高めていかなければならない。

チームのストラテジーMTGの席で、PLAN AとPLAN Bの議論の中で、彼は、PLAN Cをぶち上げる。
C is for combat.
それは戦うためのプランだ。

Formulaという最も厳格なルールが制定されている世界で、彼は、そのグレーゾーンに活路を見出し、チームの戦闘力を高めていく。

長すぎるブランクを疑問視されていることを利用して、天然のふりをして、わざとフォーメーションラップをノロノロと行い、タイヤを極限まで温めてロケットスタートを切る。
計算されたクラッシュを行うことでセーフティーカーを走らせ、抜かれそうになっていたNo.1ドライバーの順位を確定させる。

そうして、APXGPは、チームとして初めてのポイントを手に入れる。
こうしてチームは、彼のPLAN Cに期待を寄せるようになる。
他のチームも、PLAN Cを警戒して、ソニー・ヘイズへのマークを厳しくする。
マークが薄くなったNo.1ドライバーのジョシュア・ピアスは、ポイントゲッターに徹する。

その裏で、ソニー・ヘイズは、APXGPのテクニカルディレクターであるケイト・マッケンナに、マシンの改良を依頼していた。
直線ではエリートチームのモンスターマシンに、とうてい敵わない。
だから、乱気流渦巻くコーナーで戦える、文字通りcombat可能なマシンに仕上げろと。

だから、大規模なクラッシュでジョシュア・ピアスの欠場を余儀なくされる中でのPLAN Cは、まったくクリーンな正々堂々としたものだった。
コーナーごとに、0.1秒ずつ縮めていくと。

ソニー・ヘイズ

長いブランクを経て、F1の舞台に復帰を果たした男。
彼が復帰を果たすことができたのは、チーム・ロータスでチームメイトだったルーベン・セルバンテスがAPXGPのオーナーになっていたからだ。
そう、同僚のドライバーがオーナーになるほどの長い時間、彼はF1の舞台に立てなかった。

それは、まだF1にタバコの広告が許されていた頃だ。
30年以上前ということになる。
あのアイルトン・セナとも実際にレースを走り、そのレジェンドのネクスト・ジェネレーションと目された彼は、大きな期待と、それに見合う契約を手に入れていた。
だが、ただの1勝もあげられず、彼のキャリアは幕を閉じた。

だから、これは過去の栄光にすがる男の物語ではない。
手に入れるべき栄光を、過去に手に入れることができなかった男の物語なのだ。

その後の彼はギャンブルで経済的に破滅し、複数の離婚歴も記すことになった。
アンダードッグどころじゃない。
負け犬として確定した男なのだ。

マーティン・ドネリー

その原因となったのが、生死を彷徨うほどの大クラッシュ。
それこそ、アイルトン・セナに競り合う中で起きた大事故だ。

そのクラッシュについては、実際の事故がモデルとなっており、実際の映像が使用されている。

生死を彷徨うとひと口に表現するには、その内容は凄惨だ…

ご本人のマーティン・ドネリーは、事故後もドライバー育成などに携わっている。
決して、ソニー・ヘイズのような負け犬の人生ではない。

サー・ルイス・ハミルトンは、この伝説的な事故の映像を使用するにあたり、マーティン・ドネリー本人に直接電話をかけ、許可を求めた。
まさかGOATから電話がかかってくるなんて思っていなかったマーティン・ドネリーは、セールスの電話と勘違いして、当初は「けんもほろろ」の対応だったようだ。

F1 the Movie: Former racing driver Martin Donnelly had a ‘reality check’ seeing his near-fatal crash recreated in Brad Pitt film | CNN

記事の中では、アイルトン・セナの献身的な振る舞いや、その後、本当に命を落としてしまった彼へのマーティン・ドネリーの想いも語られている。

彼はブラッド・ピットのアドバイザーも務めた。
必ず車体の左側から乗り込んでいたという験担ぎも受け継ぎ、ソニー・ヘイズが乗り込む前に祈りを捧げるのは、まさにマーティン・ドネリーが実際にやっていたことだ。

F is for …

Why are you here?
Why Race?

どうして、あなたはここにいるの?
なぜレースじゃなきゃダメなの?

ソニー・ヘイズは、登場人物たちから、幾度となく問いかけられる。
それは、この30年以上、彼自身が自分に投げかけ続けたものだろう。

そうして、F is for …
Filter out the noise.
生きていく上での雑音を取り払った。

お前は、手に入るはずだった名声にこだわっているのか?
それとも、あの大金を諦められないのか?

そうして、やってしまった自分のミスへの悔恨…
あのとき、こうしていれば…

もういい加減、真っ当な職につけよ。
この先、どうするんだ?
ずっと車で寝泊まりしながら、草レースで日銭を稼ぐのか?

そうしたノイズを取り払った先に彼に見えたもの。
F is for flying.

時速300kmを生み出す化け物エンジンの轟音も、満杯の観客席のヒートアップした歓声もかき消えて、ひとレース持たないほどに路面を噛み込むタイヤのグリップ力からも解放されて、ただ飛んでいるような境地。
人生の中で、本当にまれにしか体験できることのない、あの境地。
それを味わうために、ここにいる。
今、生きている。

だから、これは、彼の問いかけでもある。

俺は、こうして生きている。
Why are you here?
お前は、どうして生きているんだい?
ノイズを取り払った先に、お前には何が見えるんだい?

F is for …
どうやら僕は、まだ轟音のピットに取り残されたままのようだ…

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