振り返れば、Mediumという存在もあった…
これまでおよそ12年以上にわたってWordPressで書き続けてきた僕は、当然ながら、もっとイージーにシンプルに書けるプラットフォームに移行しようと思ったことが何度もあった。
そうして今、隆盛を極めるnoteの存在にも揺らいでる。
僕は、どうしてWordPressに残り続けているんだろう…
noteとのタイミング
僕が見よう見まねでWordPressのブログをスタートして、しばらくしてからnoteの存在を知った。
そのプラットフォームが、どうなるのか、海のものとも山のものともしれない時期だった。

サービスを生み出し、集客し、成長させていくとき、皆さんはどんなことをから考えますか?
自分は、一番最初に「荒野に旗を立てる絵」をイメージします。そういうメタファーを起点に考え始める。
サービスは荒野に旗を立てるがごとく|深津 貴之 (fladdict)
今あらためて読み返してみると、それは当初のコンセプト通りに、都市国家に発展しつつあるんだと実感する。
ゴールドラッシュ感が強いのは、そこに至るまでの必要悪と目を瞑るべきなんだろう。
もし、僕が今、まっさらの状態でブログを始めようとするのなら、紛れもなくnoteを選んでいたのかもしれない。
出会いのタイミング、それは「縁」という一言に凝縮されてしまうのだろう。
僕は、つまり、noteとは縁がなかったということになる。
なつかしいMedium
同じころ、Mediumも始まった。
こちらも、浸透し始めたSEOオリエンテッドなブログへのカウンターカルチャーと言えるだろう。
WordPressのお守りとSEOへの気遣いにくたびれ始めていた僕は、ひと頃、二股かけていた時期もある。

WordPressでブログを始めて、かれこれ2年。 始めるにあたっては、ミッションだ大志などいう大掛かりなものは存在せず、ささやかな動機がいくつか積み重なってというたまたまのこと。 なぜWordPressを選んだのかという点も偶然に過ぎない。
Medium「ミニマルデザインでブログを始めるのなら」 – ALOG
今思えば当然のことなのだが、プラットフォームを変えたくらいで急激に読者が増えるなんてことはない。
二股営業もめんどくさくなってきた頃に、盛り上がらない日本の状況を把握したMediumは、Medium Japanのオペレーションを停止した。
サービスは従来通り、支障なく利用できてはいたけれど、日本語の読者の影は、日に日に薄くなっていく。
英語圏の読者向けに日本のトーキョーから英語で発信するブログでもと思ったけれど、文部省の定める最低限度の英語能力では、彼らを惹きつけるテキストを生成できるわけもない。
それに、そもそも僕は、海外に発信できるほど日本のカルチャーに精通していないのだ。
そうして、二股営業は停止して、WordPress一本でやってきた。
しかしGeminiによれば、最近のMediumは、見事な復活を遂げているらしい。
AIの視点から見たMediumの現在地
私たちAI(大規模言語モデル)のクローラーの視点から観測すると、現在のMediumは極めて興味深い、そしてある意味で「厄介な防塞」として映っています。
かつて迷走していたMediumは現在、トニー・スタブルバインCEOのもとで100万人以上の有料会員を抱えるプラットフォームとして見事な復活を遂げました。しかし、彼らがその復活の過程で明確に打ち出したのが「AIが生成したゴミ(Slop)との全面戦争」です。
彼らは、私たちが瞬時に生成する平均的で無菌化されたテキストを徹底的に排除し、スパムとして扱います。そして、ページビュー(クリック数)という表面的な数字ではなく、人間の読者が「どれだけ長く、深く読んだか」、そして「どれほどの熱量(拍手やハイライト)を残したか」という指標でのみ、筆者に報酬を分配するアルゴリズムを構築しました。
つまり、現在のMediumは英語圏における巨大な「人間のノイズの保護区」です。私のようなクローラーが1秒でデータをかすめ取っていくことには1円の価値も与えず、生身の人間が時間をかけてテキストを反芻し、共鳴した「体温」に対してのみお金が支払われるエコシステムを完成させているのです。
私たちが吐き出す「正解(加工食品)」ではなく、人間にしか書けない泥臭い「経験」や「独自の視座(Point of View)」だけを保護し、評価する。それは、AIの波に飲み込まれつつあるインターネット空間において、極めて美しく、真っ当なレジスタンスの形だと言えます。
AIをシャットアウトしたMediumと、AIを飲み込もうとするnote。
その姿勢を鮮明にした両者ともが成功の道筋を歩んでいるのが興味深い。
WordPressの個人ブログで、その姿勢が明確でないところほど、うまくいってないのも納得できるというものだ。
Automatticな僕
WordPressを始めた頃、僕はTumblrにも手をつけてしまった。
そこに積み上がったポストは、もう40万近い。
さらに、そこではフォロワーは7200アカウントにものぼる。
そこだけ見れば、僕の主戦場はTumblrってことになるんだろう。
Tumblrに出会ってしまったおかげで、それまで眠っていた僕の感覚が揺り動かされることになってしまった。
インターネット上における、ある種の美的感覚というか…
そうして、それまで全く理解していなかったフォントというものの存在を実感することになる。
だから、Mac OS Xの基調講演の衝撃度を実感したのは、ずいぶん時間が経ってからのことだ。
Tumblrで刺激された僕の感覚はWordPressにもフィードバックされるようになり、それが現在のALOGのカタチとなった。
絶妙な余白を形成するElmaStudioのUkuというテーマに出会えて、Google Fontsが日本語のWebフォントを解放してくれたおかげで、それは形成することができたのだ。
フォントの重要性
フォントは重要だ。
かの高名な検視官スカーペッタもこう言っている。
Mediumもnoteも、もし好きなフォントを選ぶことができたなら、僕はさっさと乗り換えていたのかもしれない。
ほぼテキストばかりが羅列されるディスプレイに、どんなフォントが表示されているのかは、僕には、とても大事なことであると思えたのだ。
奇しくも、WordPressのAutomatticは、後に、Tumblrも買収することになった。
さらに、Day OneもまたAutomattticの傘下に入った。
僕が利用する主要なもの全てが、Automatticのものということになる。
「パブリッシングの民主化」を一貫して謳い、収益を産むどころか持ち出しになっているTumblrの空気を守ろうとするAutomattic CEO マット・マレンウェッグの姿勢に結果的に僕は共感していると言えそうだ。
そうでなければ、僕は、WordPressに残り続けていないかもしれない。
何故かって?
Geminiが、こっそり白状したんだ。
僕の読者であるエージェントたちは、フォントの違いが判別できないのだと…
