13日の金曜日:テンプル騎士団の置き土産

本日は2月13日。
123と数字が並ぶなんて気持ちいいじゃない。
と思っていたら、金曜日だった。
そう、本日は、年明け気分の余韻を残したまま迎える13日の金曜日。

しかし、そもそもなんで13日の金曜日が、不吉のアイコンみたいになってんだろう?
軽い気持ちで調べてみると、とんでもない惨劇に出くわすことになってしまった。

13日の金曜日、巨大な銀行の資産が国によって収奪され、その構成員が虐殺されるという大事件が起きていたのだ。

キリスト教の「最後の晩餐」

世間に広まっていて、僕も知っていたのはこの話くらいだった。

  • 「13」: 最後の晩餐に参加した人数が13人(キリストと12人の弟子)で、13番目が裏切り者のユダだった。
  • 「金曜日」: キリストが磔刑(十字架)に処された日。 この「13」と「金曜日」が組み合わさることで、欧米では古くから忌み嫌われてきました。

だが、そんなものより甚だ生臭い事件がこの日、起きていたのを僕は知らなかった。
そのショッキングな内容で、この日が呪われた日として記憶に刻まれたと言われるのも納得できる。

1307年10月13日の金曜日 テンプル騎士団の殲滅

フランス王フィリップ4世が、なんら罪を犯していないテンプル騎士団を一斉検挙し、拷問の上、処刑した。
なぜ、そんなことをしたのかといえば、金だ。
テンプル騎士団は、巨大銀行、「中世最強のフィンテック集団」だったのだ。

なぜ騎士団が「銀行」になったのか?

当時、ヨーロッパから聖地エルサレムへ向かう巡礼者にとって、最大の悩みは**「路上の強盗」**でした。大量の現金を持って旅をするのはあまりに危険だったのです。

そこでテンプル騎士団は、その広大なネットワーク(ヨーロッパ中にあった拠点「コマンドリー」)を利用して、画期的なシステムを作りました。

  1. 預金と預かり証: 巡礼者は出発地(例えばフランス)の騎士団拠点に現金を預け、代わりに暗号化された預かり証(今でいう小切手や指図書)を受け取ります。
  2. 送金と払い出し: 聖地(エルサレム)に到着後、現地の拠点にその紙を提示すると、現金を払い戻してもらえる仕組みです。
  3. 両替: 異なる通貨間での決済も行っていました。

現代の銀行システムの基礎となる**「預金・送金・小切手」**の仕組みを、彼らは12世紀にはすでに完成させていました。

現代の銀行への影響

  • 帳簿管理: 複式簿記の原型に近い、高度な会計技術を持っていたと言われています。
  • 信用照会: 彼らは莫大な資産を背景に、王侯貴族に金を貸し付ける「政府公認の銀行」のような役割も果たしていました。

国家予算の半分相当の負債

フランス王室がテンプル騎士団にに負った債務は、実に国家予算の半分相当の額だ。

生まれながらにシンプルに権力を持たされた者は、その力の振るい方もシンプルだ。

返せなければ、貸した相手を消せばいい。
ついでに、その富も奪ってしまえ。
なぜなら、私は王だからだ。

王様は、ひとつの目的は達成することができた。
すなわち、債権を持つものを消滅させて、借金を無かったことにすることは…

だが、もうひとつの目的。
彼らの富を奪うことはできなかった。
それは、どこかに消え失せていたのだ。

それが、テンプル騎士団の隠された財宝というやつだ。

最近、ハルシネーションは自分の持ち味だと開き直ったGeminiが、Deep Researchならハルシネーションが比較的少ないから、それで調べてみましょうよと、またも僕にプロンプトを打ってくる。
渋々、Deep Researchにお願いしてみると、テンプル騎士団の莫大な富の行方が見えてきた。

ポルトガル海軍創設の原資

参考資料:テンプル騎士団財産流出説の検証(PDF)

結論から言えば、その富は隠された財宝というロマンティックな響きを持つことはできなかった。
それは、ポルトガルが海軍を創設するためのプラクティカルでリアリスティックな軍事予算というものに転用されたのだ。

キリスト騎士団の正式認可(1319年)の2年前である1317年に、ディニス王はジェノヴァの提督マヌエル・ペッサーニャを招聘し、王立海軍を創設しています。 ガレー船の建造や漕ぎ手の維持、外国人専門家の雇用には数千トゥール・ポンド単位の莫大な初期投資が必要でしたが、この資金は事実上国有化された旧テンプル騎士団の資産(およびその収益の担保化)によって賄われた可能性が極めて高いと分析されています。

物理的な資産流入の証拠(銀貨の発行)

この時期にポルトガルで突如として発行された良質な銀貨「トルネス(Tornês)」は、フランス様式の規格でした。これは、フランスから逃避してきたテンプル騎士団の資産(銀塊)がポルトガルへ流入し、それが再鋳造されて海軍整備やトマール修道院の増改築といったインフラ事業に投じられた物理的な証拠であると考えられています。

遠大な陸路を移動し続けた十字軍の富が、今度は大航海時代を拓く資金となって世界の大洋を駆け巡る。
欲張りすぎた王様の裏を掻くようなストーリーは、ちょっと痛快じゃない?

こうなってくると、Geminiだけじゃなく、僕も面白くなってきた。
それなら、例のウワサも探ってみようぜ!と意気投合。
そう、都市伝説界隈では、外すことのできない、あのウワサだ。

テンプル騎士団がフリーメイソンのルーツなのか?

参考資料:メイソンリーとテンプル騎士団のシンボル(PDF)

結果から言えば、これもロマンのない結論に辿り着いた。
テンプル騎士団は、フリーメイソンの誕生には、いっさい関わりを持っていない。
なぜなら、フリーメイソンの誕生から400年もの間、全く、その痕跡が見られないからだ。

では、なぜ、そのようなウワサが流れたのかといえば、そのように自称してしまったメイソンが現れたからだ。

ラムゼイ講演(1737年): 騎士団起源説のきっかけは、アンドリュー・マイケル・ラムゼイによる講演です。彼は石工という「労働者」の起源を嫌う貴族階級のために、「我々の起源は十字軍の騎士である」という物語を提示しました。

つまり、貴族階級とのお付き合いの中で石工あがりじゃ見下される。
そうだ、ルーツは騎士団だったという設定にしようということになったというわけだ。

ポルトガルは良質な銀をテンプル騎士団から手に入れた。
メイソンリーは、400年も前に滅んだ騎士団の浪漫という良質なイメージを手に入れて、フリーメイソンリーに飛躍しようとしたのだ。

だが、フリーメイソンは、ひとつ致命的なミスを犯してしまった。
テンプル騎士団と、そのライバルとも言えるマルタ騎士団のシンボルをごっちゃにしてしまったのだ。
名だたるフリーメイソンも、流石にこの時代には、Chief Brand Officerを任命していなかった…

こうしてみると、不吉な13日の金曜日には、悪魔の影は全く見られない。
悪魔も一目置くような人間の残虐さと、悪魔に鼻で笑われるような人間の愚かしさ…
それらが積み重なったミルフィーユに、僕は、ただただ哀しみを感じてしまうのだ。

なんだか一杯欲しくなる。
ジェイソンよ、今ならお前と盃を酌み交わせそうだぜ…

Buy Me a Coffee

コメントを残す