まったくの時期ハズレなのに、ほぼ日手帳を買い続けてしまった僕。
そのストリークは、ついにほぼ日の無地ノートにまで及んでしまった。
用途がはっきりしてたわけじゃない。
No hack.
Just write it down.
ほぼ日の無地ノート A5
トモエリバーSで
今回、僕がほぼ日の無地ノートに手を出してしまった最大の動機は、トモエリバーSの存在だと思う。
そこまで前身のトモエリバーにどっぷりDopeだったわけではない。
だから、トモエリバーSに変更されたと聞いても、それは僕にとってはニュースのひとつに過ぎなかった。
だが、この間、ほぼ日手帳 HONを手に入れて書いてみると、なんだか気持ちよく書ける。

ただ、僕が手放せなくなったサクラクラフトラボ005との相性がいい。
トモエリバーSの謳い文句であるスッキリ感のせいか、サクラクラフトラボ005の水性顔料ゲルインキのぬるサラ感のサラの部分がより強調される。
なんというか、あと口がいい感じがする。
ほぼ日手帳 HON を勢い余って購入してしまった理由 | ALOG
スッキリとしたあと口のよさと合わせて、紙のヘナヘナ感が低減している感じがする。
改良点として謳われている、紙の繊維を整えたスッキリ感というのを、僕は強く感じているのだと思う。

・より裏抜けがしにくく
・同じ厚みでもより軽く
・紙の繊維を整えて表面がよりスッキリ
新しいほぼ日手帳の紙「トモエリバーS」のこと。 – ほぼ日手帳マガジン – ほぼ日手帳
無地で
さらに、ついに無地のレイアウトが発売されたことも大きい。
正直なことを言うと、ほぼ日の方眼ノートを使ってみたことはある。
だが、方眼LOVERでない僕は、ずっと、これで無地があればなぁと思い続けていた。
だから、もしかすると方眼ノートしかラインナップに存在しなければ、購入していないかもしれない。
トモエリバーSで、無地で、という合わせ技が、僕の背中を押したのだ。
日記で
さらに、もうひとつの要素もある。
僕にとっては手付かずの分野である、手書きの日記というものが、しばらく気になっている。
最近も、日記に関する記事が出ていた。

「日記はいいよ」と実感を持って語れる、古賀史健さん、古賀及子さん、糸井重里による日記がテーマの座談会。日記を気軽に続けるキーワードは、いつだって「Do」!
(1)朝起きて、夜寝るだけで書ける。 – 日記のはじまりは、いつだってDo! 古賀史健×古賀及子×糸井重里 – ほぼ日手帳マガジン – ほぼ日手帳
日記の流派で分けるのなら、僕は、Do派でも、Think派でもなく、Feel派になるはずだ。
さらに数年前に出ていた記事も、日記という存在を見直すきっかけになった。

言葉による表現の、ミニマムなかたち。 その日に起こったことを書き記す。 それって、ものを書くことの原点だと思うんです。
第4回 2020年の日記特集。 | 特集 編集とは何か。10 「新潮」編集長 矢野優さん | 矢野優 | ほぼ日刊イトイ新聞
ユビキタス・キャプチャーと称して、ながらキャプチャーは、僕の習慣として根付いてる。
しかし、あらためて、さあ、今日を振り返ってみるよ!という習慣は全く身についていない。
ユビキタス・キャプチャーで言うところのデイリーレビューは、全くできていないのだ。
なんのために書く?
書いてどうなる?
なんて何年も頭をよぎってる。
でも、書けさえすればいいのだ。
何かを生み出すために書いてるわけじゃない。
ただ、余分なものは書き捨てられている。
それこそ、鏡に向き合ったガマガエルが油を搾り出すように…

いろんなジャーナルの手法が次から次に誕生しているけれど、あんまりそこは考えずにおこう。
時間をとって、この無地のページに向き合ったときに、僕は何を書き出すのか?
シンプルに、ただそれだけを書いてみよう。
それは楽しみでもあり、怖さもあるけれど…
パタンと開く
ツバメノートも好きなんだけど、今の僕には、パタンと開くことの優先順位も高い。
そうなると、コチラに軍配が上がってしまうよね。

厚紙の表紙は、結構な強さがあって柔じゃない。
裸族ベースな僕は、当然ながらノンカバーで、まかり通らせてもらおう。

A5サイズを選んだのは、たくさん書くためというより、余白を保持したいから。
A6サイズだと、息継ぎできないほど書いてしまって、余白を生み出す余裕がない。
僕の悪筆への最後の砦は、余白を保持することだ。
「へのへのもへじ」と測量野帳
現状、僕はこのノートを気にいって、デスクで開きっぱなしにして、ユビキタス・キャプチャーにも使用している。
カラダに馴染んだ測量野帳も、最近はご無沙汰だ。
あれこれノートを散らすのはよくないとは思っている。
だから、このほぼ日の無地ノートにALL IN ONEで何でもキャプチャーするべきだとは、アタマではわかってる。
ただ、いっつも、こうしたノートに対しては、本当に些細な落書きをすることに抵抗がある。
その敷居が乗り越えられないでいるのだ。
測量野帳なら、そこに一切の躊躇は生まれないというのに…
僕がシンプルなジャーナルライフを送るためには、その勇気が必要なのだ。
「へのへのもへじ」を躊躇なく書ける勇気。
僕に必要なのは、それだけだ…