全身麻痺で首から下が一切動かない雇い主に向かって「あんた不幸だな。俺なら自殺するよ。」と言い放つ使用人。
それに対して「障害者には無理だよ。」と応じる雇い主。
この屈託のない率直なやりとりのふたりを主人公とする物語。
正直に告白すると「感動の実話!」とあおられるたぐいの作品は苦手だ。
それは感動を強要される姿勢と展開が透けて見えるからだ。
しかし本作は、悪ふざけすることなくクスッと笑え、感動!という大きな波がないながらも、人間同士のフラットなつながり、そして気の利いたエンディングを楽しめる良い作品だった。
対照的な「ふたり」なようで
好きな時にプライベートジェットを飛ばせるほどの金持ちだが、首から下は一切動かせない富豪のフィリップ。
若く頑健な体はあるものの、スラム育ちで服役が終わったばかりのドリス。
この対照的なふたりが出会った実話がベースとなっている。
採用面接で「人に頼って暮らすのは気がひけないか?」とフィリップが発した質問は、日頃自分に向けているものなのだろう。
介護人なしでは電話にも出られない、手紙も書けない、ベッドに横たわることもできない。
そうした日々の積み重ねで心に蓄積されたもの、そんな思いがふと口をついて出たのだろう。
ドリスは、バリアフリーな男だ。
目の前のことを率直に受け入れる。
車いす姿のフィリップには「やっかいだな」という感想をそのままぶつける。
雇い主を、その障害を腫れ物を触るような扱いにはしない。
ジョギングに車いすでついてくる雇い主に、遅いと怒鳴りつけ、車いすの速度アップの改造を進める。
「で、アッチの方はどうしてんの?」とセンシティブなネタにも遠慮なく切り込み、雇い主は雇い主で「こうなると、耳で代用できるんだ。」と嬉しそうに返す。
ストレートな事極まりないが、ただ粗野な男ではない。
人間を荷物のように車いすごと荷台に載せる事に抵抗し、解決できない薬の副作用に苦しむ雇い主には朝まで寄り添い続ける。
そうして、二人の関係は強くなっていく。
全く対照的な二人のようで、実は同種の人間なのだ。
ある部分は持て余しており、ある部分は全くと言っていいほど持ちわせていない。
そう、健康と資産においては。
しかし、二人とも共通して持ち合わせていないものがある。
それは、生きていく希望だ。
出所したばかりで、この先まともな人生があるはずがないと思い込んでいるドリスは、目先の失業保険の受給のためだけに面接を受けに来る。
そしてフィリップは、自らの障害よりもつらい妻の死、その彼女がいない空白の人生を生き続けていかなければならないことに耐えられずにいる。
それぞれのギフト
お互いを思うことこそが、離れる理由になることもある。
フィリップは「介護人なんて一生の仕事ではない」とドリスのために送り出す決心をする。
富豪との生活ですっかり教養のついたドリスは、今度は採用されるための面接を受け、見事に採用される。
ドリスなき後の生活に衰弱していく一方のフィリップに、ドリスが用意したプレゼントは本物のサプライズだった。
目の前に現れた美女は、フィリップの長い文通相手で、フィリップ自身が障害者であることを告白できずにいた相手だった。
初対面のふたりのフレッシュではにかんだ笑顔からの、静かなエンドロールはじんわりとあたたかくてついつい何度も見てしまう。
存在しないボーダー
法律的にはボーダーが引かれ、健常者と障害者という区分が存在する。
しかし、実生活ではそのボーダーはあいまいだ。
みんなどこかに不足を抱えて生きている。
身体的なものにかかわらず、ドリスのように経済状態まで考慮すれば、みんな何かが欠けている。
そういう意味では、健常者というものがそもそも存在するのかは疑問だ。
持たざるものの種類によって、その人間の優劣が決まるわけではない。
持ち合わせているものの種類によって、その人間の優劣が決まるわけではない。
ヒトはヒトであることで、それぞれがフラットな存在なのだ。
だから本来は、人間の間にはボーダーなんて存在しないはずだ。
そうした当たり前のことを、この映画で思い出した。
そうして、指折り数えれば間に合うほどの、そうした付き合いの出来るヒトの顔が浮かぶ。
どうやら僕も、この「ふたり」のように持ちわせているようだ…