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NFL100年の歴史に残るMUSIC CITY MIRACLE ケビン・ダイソンが校長先生である価値

わずか6年間のNFLのキャリア。
わずかふたつのプレイが人々の記憶から消え去ることのない稀有な選手。
NFL100年の歴史にしっかりと刻まれたふたつのプレイは、わずか3週間のうちに起きたものだ。
そのWRは博士号を取得して、現在は校長先生を務めている。
そう、だから襟を正して正式に紹介しなければならない。
彼の名前は、Dr. ケビン・ダイソンである。

Highs & Lows: How Kevin Dyson’s Career Ends on a High Note in a High School

あのランディ・モスと同期で、あのランディ・モスより評価が高かった。
事実、あのランディ・モスより上位の全体16位でドラフト指名されることになった。
そんな彼は、2年目で永遠に語り継がれる奇跡を起こす。

MUSIC CITY MIRACLE

I just got myself in position and made a play.” – Kevin Dyson

情報源: NFL 100 | NFL.com

ミュージック・シティ・ミラクルとベタな名前がそのままつけられたプレイは、その内容を見ればベタな名前をつける他ない衝撃的なものだ。
残り16秒で逆転された直後のキックオフリターンTD。

しかし、その舞台裏を知ると、その衝撃度は遥かに高まる。
そもそも、ホームラン・スローバックと名付けられデザインされたそのプレイをチームは毎週土曜日に練習を重ねていた。
しかし本来のリターナーであるデリック・メイソンは脳震盪でプレイすることができない。
そのバックアップであるドーセット・ジュニアも痙攣を起こしていた。
そうしてあまり練習していなかったケビン・ダイソンに、急遽お鉢が回ってきたのだ。

そうして僕の長年の疑問が解けることになった。
どうしてジェフ・フィッシャーはサイドラインであんなに見え見えのサインを送っていたのか?
どうしてフォワードパスと疑われるような位置にいたのか?
それらは全て不慣れなケビン・ダイソンを起用しなければならない切羽詰まった状況だったからだ。

しかし、人間万事塞翁が馬。
もし練習を積んでいた本来のリターナーが起用されていたならば、冷静に良いポジションでアウトオブバウンズを割っていたはずだ。
FGで十分だったからだ。
しかし、そうではないケビン・ダイソンがボールを持ったことで、行けるところまで行くという結果としての爽快なTDがもたらされたのだ。

ONE YARD SHORT

“Both of those guys were trying to do their job and one guy did it one yard better.” – Jon Hamm

情報源: NFL 100 | NFL.com

前回の奇跡からわずか3週間後、またも彼にお膳立てされた場面がやってくる。
しかも舞台はスーパーボウルのラストプレイだ。
ラムズのエンドゾーンまでわずか10ヤードで彼に投じられたスラント。
デザイン通りに行けば、TD。
トライフォーポイントの選択によって同点か逆転かとなるプレイ。
彼が確実にキャッチした瞬間、もうトライフォーポイントの選択に頭を切り替えようというほどの完璧なパスだった。
しかし、スラントで勢いよく走り込んだケビン・ダイソンがゴールラインを越えることはできなかった。

ラムズのLB マイク・ジョーンズが1ヤード手前でピシャリと止めて見せたのだ。
長年、僕は彼のタックルスキルに感心していた。
派手なハードヒットではないが、スラントで走り込んできたWRの勢いのある前進を確実に阻むタックル。

しかし、マイク・ジョーンズはただの確実なタックラーではなかった。
その舞台裏を知れば、もう一枚役者が上だったことがよくわかる。

タイタンズのアライメントを確認した彼は、このプレイが来ることを確信していた。
事前のフィルムスタディの賜物で。
そうして彼は、チェックコールを出してカバレッジを変更したのだ。
もしそうしていなければ、TE フランク・ワイチェックをカバーするためにマイク・ジョーンズは、このポジションにいない。
ケビン・ダイソンは、誰にも触られることなく黄色いエンドゾーンに走り込んでいたはずだ。

2度目の奇跡を起こすには、わずかに1ヤードが不足していた。
しかしその1ヤードのアローアンスを生んだのは、事前のフィルムスタディからの積み重ね。
まさしくA Game of Inchesと実感する瞬間だ。
そうしてその1ヤードが、どちらが初めてリングを手に入れるかの明確なボーダーとなってしまった。

人間万事塞翁が馬

あと5ヤードもあるのなら、簡単に諦めもつくだろう。
しかし、あと1ヤードという距離は一生消えない後悔がつきまとう。
もう少しやりようによっては届いたんじゃないか。
ああすれば、こうすれば、たとえ何十年経とうとも、フラッシュバックのように自問が消え去ることはない。

あの1ヤードを乗り越えていれば、リングを手に入れていれば、彼の現役生活も大きく変わっていたかも知れない。
それこそ、ドラフト前の評価のように、あのランディ・モスよりも輝かしく長い現役生活を送り、今頃はゴールドジャケットを羽織っていたのかも知れない。

しかし、あの高校生たち、彼の生徒たちにとってはどうだろう?
もし、Dr. ケビン・ダイソンが博士号の代わりに名誉の殿堂入りをしていれば、1ヤードの不足を抱え込んだ校長先生に彼らは会うことができなかったはずだ。

「誰もが名誉の殿堂入りをするわけじゃない。役割を与えられた選手は、自分の役割を受け入れなければならない。」

と彼は言っている。
確かに並の選手がスターダムにのし上がることができるチャンスを、彼はモノにできなかった。
しかし、そのおかげで学びを得た彼は、生徒たちのもとにやってきた。

ゴールドジャケットを羽織っていたって、大物ぶって現役にケチつけちゃあ、シーズンチケットをねだるだけなんてカスもいる。
運が良かっただけの成功者が、いつのまにか美化して脚色された自慢話も役に立つとは思えない。

生徒たちは、人は、つまづいた時にどうするかこそを学ぶべきなのだ。
生徒たちにとっては、自分が生まれる前の奇跡も悲劇もピンと来ないかも知れない。
しかし、そんなボールドな年輪を重ねた人間性に触れられる価値は計り知れないはずだ。

人間万事塞翁が馬。
博士号をお持ちのDr. ケビン・ダイソンなら、この意味はとっくにご存知ではあるだろうが…

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