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「鬼平犯科帳 老盗の夢」観た人のためのレビュー「ある継承」

そもそも消えてたわけじゃない。
蓑火は、ずっと燃えていた。
その冷たさゆえに、喜之助自身も気づいていなかったのだ。
それを燃え上がらせたのは女の嘘に違いはないが、それさえ、思い出させただけに過ぎない。
老盗に刺さったままの小骨のことを…

鬼平犯科帳 老盗の夢

長谷川平蔵(松本幸四郎)、密偵・小房の粂八(和田聰宏)とも因縁浅からぬ稀代の大盗賊・蓑火の喜之助(橋爪功)が隠居暮らしを送っていた京都から江戸にやって来る。喜之助は、若かりし頃の想い人とそっくりな茶汲女・おとよ(北乃きい)と出会い、彼女のために江戸で最後の大仕事を企んでいたのだ。平蔵から喜之助の探索を命じられた粂八は、独断で喜之助を思い止まらせようとする。しかし、喜之助が集めた助働きの一味には粂八の正体を知る者がいて、ふたりとも絶体絶命の窮地に陥る。

松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」公式ポータルサイト

蓑火の喜之助

殺さず、犯さず、貧しきものから盗まない

その三箇条を守り通し、最後の大盗賊の看板を守ったまんま引退した蓑火の喜之助。
手下に旅籠も持たせ、自分が生きていくだけには余裕のある蓄えを持って足を洗った男は、絵に描いたような一丁あがり。
あとは静かにお迎えを待つだけでいい。
その生業に手を染めたもの、誰しもが、思い描くサクセスストーリーだ。

だが、若い女との出会いが、隠居生活にピリオドを打たせる。
若い女に狂ったわけではない。
その女をモノにしようとしたことが、この老盗の最後の夢ではない。
彼は、果たせなかった夢を思い出したのだ。
まあまあの、一丁上がりを迎えても、いちばん大事な夢は叶えていなかった。
そのことを、その女が思い出させてくれたのだ。

彼は、お千代を女房にすることが叶わなかった。
そして叶わぬまま、彼女はこの世を去った。
果たせなかった夢、そしてもう果たせることなど叶わないと思った夢。
突き刺さったままの小骨があることを、このお千代に瓜二つの女が思い出させる。

そもそも消えてたわけじゃない。
蓑火は、ずっと燃えていた。
その冷たさゆえに、喜之助自身も気づいていなかったのだ。

そうして蓑火は、炎となって燃え上がる。
誰しもが江戸での仕事を控えるようになった、売り出し中の火付盗賊改方長官の存在が、稀代の大盗賊として名前を轟かせた自分のプライドに油を注ぐ。
最後の夢を叶えるはずであった仕事という手段は、この難敵を前にやり遂げるという目的に取って代わった。
その張り合いこそが、味気ない隠居生活に欠けていたものだと肌で感じたことだろう。

だから彼が、若い女の、おとよの嘘を知ったとしても、一笑に付したはずだ。
かまへん、かまへんと…
そのおかげで、この盗人は、あの鬼平相手に自分流儀の仕事をやり切るという、最後の夢が見れたのだから…

ある継承

善も悪もない。
人は仕事ぶりに如実に、その人間性が垣間見える。
結局のところ、筋を通す人間なのか、そうではないのか。
畜生ばたらきを許容するのか、憎むのか。
その点において、蓑火の喜之助と鬼平は、同じフィールドで同じルールで戦うもの同士に見える。
たまたま、来ているジャージの色が違うだけの…

一目置いているからこそ、島田から帰りの茶屋で蓑火の喜之助と遭遇しても、鬼平は静観していた。
そしてまた、蓑火の喜之助も、小房の粂八が狗と知っても、仕える先が長谷川平蔵であるのならと我慢も効いているようだ。

「名乗るほどのもんじゃあらへん」
後継者を探していた大盗は、「本所の銕」にそう名乗る。
「盗賊にはなれねえ!」
そうキッパリと断る若者に、曲げられない物を大事にする大盗は、大いに感じ入ったことだろう。
長谷川平蔵が、あれが蓑火の喜之助だったと思い出したとき、もう盃を交わすことは叶わなくなっていたが…

ひとりの本物は、この世を去ったが、別の本物に、また継承されている。
両方を知る小房の粂八は、それを肌で感じていることだろう。
殊に、長い間、偽物に騙されていた身としては…

松本幸四郎バージョンの完成形

最もインプレッシブだったのは、蓑火の喜之助の最後に立ち会う長谷川平蔵の姿だ。
搾り出すように語りかける老盗に、鬼平は、いっさい応えない。
優しさは滲ませず、かと言って冷酷さも垣間見せず、ただただ厳しく、そこに在る。
その姿に、その空気感に、なんというか、松本幸四郎バージョンの鬼平の完成形を見たと感じた。
ついに、このゾーンに到達したんだねと…

RIP 火野正平

相模の彦十役の火野正平は、このシリーズにおいても、彼にとっても最後の撮影となった。
このシリーズでは、桜屋敷のおふさが堕ちていく姿、血頭の丹兵衛が道を踏み外していく様も描いてきた。
そこには、時の移ろいの哀しさが滲み出る。
だが、現実の人の死は、ただただ重く悲しいだけだ…

この鬼平犯科帳のシリーズは、どれも素面で観るのはしっくりこない。
時の移ろいというやつに対峙するには、一杯の味方が必要になる。
この作品に限っては、その一杯のひとつを献杯にするべきなんだろうね…

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