「絶望的な状況です。人類の最後の望みであったスペースシャトルは、謎の爆発を遂げました。これで小惑星マチルダが3週間後に地球に追突するのが、ほぼ確実となりました。」
助手席で同じカーラジオを聞いていた妻は、そのまま無言で立ち去った。
その夫であるスティーヴ・カレル演じる主人公の3週間の物語。
ユーモラスで平穏なセカイ
人の一生には終わりがある、確実に。
問題は、いつ終わるのかが知らされていないことと、いつかは人によってまちまちだということだ。
だから、すべての人類がほぼ同時に終わりを迎えるこの状況は、言うまでもなく特異だ。
しかし、そんな世界は意外に平穏で、様々な人物がユーモラスに描かれる。
主人公の勤める保険会社では、ほとんどの社員が出勤してこなくなり、CEOは社員を集めて金曜日以外のカジュアル勤務を解禁するとか、空きが出たCFOをやる希望者はいないかと問いかけるズレたミーティングを行っている。
地球滅亡が決まってから急に仕事熱心になった警官は、この後に及んで些細な違反を見逃さない。
これまで蓋をしていた欲望を解禁し、ドラッグや乱行に走るお決まりの人たちがおり、暴動もある。
ちゃっかりと設備と食料を確保し、ハルマゲドン以降の人類再興に備える者もいる。
しかし多くの人たちは、その日常を変えていない。
通常営業で主人公に洗剤を売る店主もいれば、決められた曜日に掃除に現れるメキシコ人メイドもいる。
主人公が彼女にもう来なくていいよと告げると、「クビなんですか?」と騒ぎ立てる。
長年アンカーを務めてきたキャスターは、スタジオから1人また1人と人が消えていく中、放送を続ける。
これまで顔を合わせることのなかった隣人キーラ・ナイトレイと旅に出ることになった主人公の視点から、そうした人々の姿がブラックユーモアたっぷりに、それでいてあたたかく描かれる。
それを支える良質の音楽と相まって、見た後にあたたかく複雑で深みのある感情が芽生えていることに気づかされる。
それは、とても一口では語れないが…
Seeking a Friend for the End of the World
見終わってしまえば、邦題の「エンド・オブ・ザ・ワールド」よりも原題のSeeking a Friend for the End of the Worldの方がしっくりくる。
世界が終わる時を共に迎える誰かさんを見つけるというほうが。
あなたには、その時を共に迎える相手はいるだろうか?
今そうした存在がいてもいなくても、そこに大きな違いはないのかもしれない。
彼は、そうであるべき存在の妻を突然失った。
彼女は、異国にいる家族に物理的に会うことが不可能になった。
しかしそんな状況からでも、今この時を共に迎えることができて幸福だったと思える相手に出会えることもある。
僕ならばと、その3週間をどう過ごすのかと考えてみる。
しかし、それは隣の誰かさんが逃げ出さないことが前提であり、保証のない現在では、ただの夢想に終わってしまうのかもしれないが…
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