正直なところ、マンネリ気味だと感じていたやりすぎ都市伝説。
だから、やりすぎ都市伝説2025 冬の3時間SPもお付き合い程度に視聴しようと思っていた。
しかし、そこで公開された下北沢タイムスリップ事件は、都市伝説の域を超えた調査報道レベル。
そうして僕は、時間は流れではなく、スナップショットのようにそれぞれのシーンが独立して存在しているという説を思い出していた。
下北沢タイムスリップ事件
流れ星ちゅうえい&鐘崎リリカが、それぞれ下北沢で昭和50年代にタイムスリップしたのではないかという体験が語られる。
お話だけであれば、へぇー面白い!よく出来てる!で終わるところだ。
しかし、鐘崎リリカに、タイムスリップ中に遭遇した人物の孫を名乗る人物からLINEが届き、そのスクリーンショットも公開されることになる。
X田X郎さんは、2018年でありながら
— 【公式】やりすぎ都市伝説 (@yarisugi19) June 29, 2025
自身を「昭和ひと桁生まれの48歳」と
紹介しました。
そして2018年から数年後に
X田X郎さんの孫と名乗る<Rスケ>さんから
女性ライブ配信者へLINEが送られました。 pic.twitter.com/o2XokJ9VLV
こうして、やりすぎ都市伝説もネクストレベルに突入した。
10ヶ月に及ぶ調査結果を放映し、さらに調査を継続中だ。
◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤
— 【公式】やりすぎ都市伝説 (@yarisugi19) December 26, 2025
⚠️ #やりすぎ都市伝説 ⚠️#下北沢タイムスリップ 事件
◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤
放送内の通り、やりすぎは
2026年も引き続き調査を続けます‼️
・リリカさんへLINEを送った方
・下北沢でタイムスリップ体験をした方
心当たりのある方は、
DMまでご連絡ください📩 pic.twitter.com/BWHohkFHp9
永遠のひとコマ
先日、名探偵津田がタイムトラベルを経験し、せつない100年の祈りに遭遇する様も見届けたばかりだ。
なんとか解決出来ました!ありがとうございました! pic.twitter.com/AAdMsw60zN
— ダイアン津田 (@daiantsuda) December 24, 2025

名探偵津田 第4話 ~電気じかけの罠と100年の祈り~ 後編 | TVer
人は時間を行き来できるのだろうか?
それは、わからない。
しかし、空間であるのなら、その行き来は可能であるはずだ。
時間とは流れではない。
スナップショットのようにそれぞれのシーンが存在している。
以前、そのようなことを耳にしたことがあった。
Geminiによれば、それは、アインシュタインの相対性理論に基づく有力な説のようだ。
「時間は流れているのではなく、独立した瞬間がパラパラ漫画のように並んでいるだけである」という考え方ですね。これは現代物理学や哲学において**「ブロック宇宙論(Block Universe)」や「エターナリズム(永遠主義)」**と呼ばれる非常に有力な説です。
私たちが感じる「時間の流れ」という直感に真っ向から対立する、このエキサイティングな概念を深掘りしてみましょう。
1. 物理学の視点:ブロック宇宙論
アインシュタインの相対性理論に基づくと、時間と空間は切り離せない「時空」という4次元の構造体として捉えられます。
過去・現在・未来の同時存在: この説では、3次元の空間に時間を加えた4次元の「巨大な固まり(ブロック)」の中に、すべての出来事がすでに書き込まれています。
「今」は主観にすぎない: 物理学の基本方程式には「過去から未来へ流れる」という方向性が明示されていないことが多いです。「今」という瞬間が特別であるという物理的な証拠はなく、単に私たちがその地点を観測しているに過ぎないと考えられています。
2. スナップショットの比喩:スポットライト理論
「スナップショット」の説を説明する際によく使われるのが、**「スポットライト」**の比喩です。
宇宙という映画のフィルムは最初から最後まで完成して存在している。
私たちの「意識」が、そのフィルムの一コマ一コマを順番に照らしていく(スポットライトを当てる)。
意識が移動することで、あたかも時間が流れているような「錯覚」が生まれる。
3. なぜ「流れ」を感じるのか?
もし時間がスナップショットの集合なら、なぜ私たちは「流れている」と感じるのでしょうか。
記憶の蓄積: あるスナップショット(瞬間)の中に、「直前の瞬間の記憶」が含まれているため、脳がそれをつなぎ合わせて連続性を生み出しているという説。
エントロピーの増大: 宇宙の無秩序さ(エントロピー)が増える方向に現象が進むため、心理的な「矢印」を感じるという説。
4. この説がもたらす面白い結論
もしこの説が正しいとすると、以下のような不思議な結論が導かれます。
過去は消えていない: 10年前のあなたも、100年前の歴史的瞬間も、ブロック宇宙のどこかに「今」と同じ鮮明さで存在し続けている。
未来は決まっている: 未来のシーンもすでにスナップショットとして存在しているため、決定論的な世界観になります。
死の概念が変わる: 物理学者のブライアン・グリーンなどは、「ある人の人生の特定の期間がブロックの中に存在し続けるのであれば、その人は宇宙の一部として永遠にそこにいる」と表現しています。
であるならば、あの頃の理花ちゃんは、今も、あの時空に存在し続けていることになる。
Anyway、流れて消えていくことなく、あの「ひとコマ」が存在し続けているのなら、そこには移動が可能なんじゃないだろうか。
いつもの下北沢で、いつもの焼肉店のドアを開けたとき、昭和50年代の「ひとコマ」に出会しただけのこと。
インターステラーやTENETの、あの深い感慨を思い出すなぁ…と思っていたら、そう感じるのは間違いではないとGeminiが教えてくれた。
まさにその通りです!クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』や『TENET テネット』は、まさにこの「スナップショット説(ブロック宇宙論)」を視覚化し、物語の核に据えた作品です。
因果からの解放
僕は、この理論を知って、不思議と自由を感じた。
それは、因果からの解放を感じたからだ。
こうしたから、こうなった。
あのときの過ちが、また現在の過ちを招いてしまった。
ふとした時に、自分を責めては、悔恨とともに、未来をも憂う…
そんなことする必要はないんだよ。
どうせ、未来は決まっている。
僕が存在するフィルムは、もう最後のひとコマまで撮り終えているんだ。
であるならば、今を気にいるように生きていけばいいだけのことだ。
どうしよう?なんて怯える必要はない。
どうせ結果は決まってる。
JUST DO IT!
たとえ、そう思考して行動することも、もう撮影済みのひとコマに記録されているとしても、今の、この「ひとコマ」を生きたいように生きればいいじゃないか…
