独白

「夢が叶うとしたら、何を願いますか?」 あなたなら即答できるだろうか。

よく晴れた冬の午後、ぶらぶら歩いていると、いきなり目の前にマイクが突き出され、差し出したほうを確認するとレポーター風の女の人がにっこり微笑んでいる。

「いま、飲料メーカーのCMを撮ってて、皆様に質問をさせていただいてます!」
「は、はあ。なんでしょう?」
夢が叶うとしたら、何を願いますか?

あまりにも唐突な問いかけに、かっきり一秒間だけ、頭が真っ白になった。

冗談ではないと正気を取り戻し
「い、いやあの、ちょっと。。。」と逃げる。
「ダメですか?お忙しいですか?」との問いかけを背に、苦笑いしながらなんとか逃げ果せた。
追っては来ないことを確認すると、一息ついて歩調を緩める。
やれやれ、災難はどこから現れるかわからない。
忙しいわけではない。
時間なら、それこそ売るほどある。
しかも二束三文の値しかつかないほど、その在庫はやや過剰気味だ。
そのレポーター風の女の人が失礼だったわけでもない。
ビックリはさせられたが、なにかしら押し付けがましい思いをしたわけでもない。
問題は、その質問なのだ。

「夢が叶うとしたら、何を願いますか?」

あなたなら即答できるだろうか。
僕には。。。
なにも浮かばなかった。

何となくタテマエ風なことならいくらでも話せる。
とても、それらしく。
あるいは、「そもそも、かなわないから夢だろう!」と、逆ギレして空白な自分を気づかれないように防御することも出来る。
しかし、最近そうした対社会との「しがらみスキル」に辟易している僕は、反射的にそうした選択をしなかった。
久しぶりにちょっと自分のアタマとココロをまさぐってみた。

ど直球で。
かっきり一秒間。
そうして何も浮かばなかった。

一秒間じゃ短すぎると思われるかもしれないが、ほんとうに叶えたいことがあるのなら、問いかけが終わる前に話し始めているくらいの感覚で、ドロドロと熱と欲を併せ持ったものが吹き出してくるはずだ。
いや、聞かれずとも、吹き出させながら垂れ流しながら歩いているはずだ。
あーだこーだは浮かんでくるさ。
原発ゼロの世界になってほしいとか、世界から貧困がなくなればとか、戦争が産業ごとなくなれなばいいのにとか、なにしろ家族が健康でとか。
それももちろん、そうなってもらわなくっちゃアレなんだけど。
ただそうじゃなくって、もっと「熱と欲の間の子」として叶えたいもの。
「夢」と呼ばれようが「目標」と呼ばれようが、あるいは今風ビジネスライクに「ゴール」とカッコつけてもかまわない。
それは自分にとっての果たすべき約束であり、到達すべき終着駅であり、倒すべきラスボスであり、出会うべき運命を持つもの。

それが即答できない自分を恥じて、僕は逃げ出したのだ。
そう、だから問題は僕自身なのだ。
来年こそはと、「やるやる詐欺」を繰り返しながら、とうとうここまで来てしまった。
そうした日々にクサビを打つように、彼女は、あのレポーターは出現したのだ。
例の問いかけを携えて。
それはセカイから僕への問いかけである。

「あなたは、どうするの?」

と彼女はにっこりと微笑みながら、僕に問いかけている。
そしてそれは、誰よりも自分自身が一番知りたいことに違いない。
間もなく年が変わるこの師走に、明治神宮の真ん前という場所で、この状況に出くわすこと。
それはとっても感謝すべきことなのだろう。
そして、「やるやる詐欺」の常習犯から足を洗い、モノホンの「来年こそは」に向き合わねばならない。
そうして、来年こそは這いずり回るのだ。
熱と欲のドロドロを垂れ流しながら。

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