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『探偵はBARにいる』 もう見た人のためのレビュー 「時計が止まった彼女」

僕らがよく知っている探偵たちは、誰一人自ら事件を解決することが出来ない。
依頼という名目で事件のど真ん中に巻き込まれ、殴られ血が滲む口中を酒で洗いで、事の顛末を観察し続けることしか出来ない。
もっとも、ベーカー街で自分の頭脳明晰さをひけらかすあの紳士は例外だが。
このススキノの探偵も、僕らがよく知る探偵たちのように事の顛末を見守ることしか出来なかった。
そして、どんなに殴られようとも一度首を突っ込んでしまった事件からは逃げ出さず、自分なりのケリをつけようとする伝統も受け継いでいる。

事件自体はシンプルだ。
愛する夫を殺されて、人生という時計を止められてしまった女が、その復讐を果たすことで本懐を遂げる。
目星をつけた復讐相手の確証を得るために、探偵に電話をかけてくる。
いい加減に見えたその探偵は、依頼事項に応えるだけではなく、どんな暴力にも屈することなく真相にたどり着くことをやめない。
女は、復讐の決行日、うその依頼で探偵をススキノから引き剥がし、その計画を実行する。

登場する悪は、テロリストでもなく、巨大な陰謀でもなく、甚だ伝統的な悪徳だ。
手に入れたいもののために、たとえ殺人に繋がろうとも暴力を厭わない悪徳。
そしてそこにしか居場所を見いだせない「カトウ」のような男。
自分が死ぬ間際に見る自分専用の映画を待つ間、悪徳にしか時間つぶしを見いだせない男。
思想を持っていた左翼から、ただの暴力組織に成り下がった岩淵恭輔も同じようなメンタリティだったのかもしれない。

だから、女も悪女であると思った。
伝統的な探偵、伝統的な悪徳、こうなると伝統的な悪女で最後のピースは埋められる。
僕は、「コンドウキョウコ」の声が沙織であると、当初認識できなかった。
だから、沙織が黒幕であると疑われた時にオーソドックスな悪女の登場に一人納得していた。
しかし、そうではなかった。
復讐者になるとハラをくくった彼女は、唯一の自らの武器を使って復讐すべき相手の懐に飛び込んでいたのだ。
たとえ、霧島敏夫と出会う前の、悪いうわさが絶えない女と言われようと、自らが唯一頼っている探偵に銃をつきつけられても、彼女はやり遂げた。
一言も口を割らずに。
だから、後から手紙を渡すことでしか探偵にその真意を伝える方法が見つからなかった。
全てを終えて自らに向けた銃の引き金を、満面のほほ笑みで絞る沙織。
思えば、この笑顔だけが、唯一沙織がその本当の感情を表したシーンかもしれない。

探偵は、ミスを犯してばっかりだ。
自らのミスで田口晃の両親は惨殺され、自らのミスで守るべき依頼人を責めたて、その死を止めることも出来なかった。
全てが終わった後で、駆けつけた探偵は、次々と運びだされる白い布がかけられた担架の中に沙織を見つける。
その担架だけ、ウェディングドレスが覗いていたからだが。

原作は、ここで終わる。

この後、探偵が「ケラーオオハタ」に立ち寄るシーンは最も映画化した意味があるといえる。
タバコと胃薬のいつものセットにあわせて、バーテンダーが見慣れないものを無言で渡す。
沙織から探偵への贈り物であるそれは、霧島敏夫の遺品であるオメガの時計だった。
思いを遂げた沙織の感謝の言葉。
気づけず、その生命を守れなかったばかりか、その真意に気づけず責めたててしまった自分の取り返せないミス。
オン・ザ・ロックのグラスの中で氷とウィスキーがどろりと角逐するように、そうしたものが混ざり合う。
やるせない顔でそれを飲み干すしか、現実と折り合いをつける方法が見つからない。
そしていつだって、オトコにその場を与えてくれるのはBARしかない。
映し出されるススキノの夜景は、ピアノから始まる「時計を止めて」とともに、美しさは誇示するが、ココロを受け止めてはくれない。
多くの街がそうであるように。

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