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コートジボワール vs 日本 シロートレビュー「もとより第2戦!」

開始早々前半16分の本田圭佑のゴール!
見ている僕らも手応えを感じた。
「やはり、これまでのワールドカップとは違う。我らが代表は、今まで見たことのない景色を見せてくれそうだ。」
それは、連動で崩した攻撃によるものではなく、一瞬のすきを突いた単発の攻撃に過ぎない。
だがその隙を逃さずものにする勝負強さは流石だ。
ここまでの調子を見れば本田が「持っている」人間だという事実を再認識させられた。
90分の中で、そこが最大のピークであろうとは誰も思っていなかった。

長谷部、山口のボランチの組み合わせと大迫のワントップ起用は、やや守備に重点をおいたメンバー構成といえるかもしれない。
しかし、ソレ以外はこれまでどおりの顔ぶれで、カテナチオをかけようなどという意図はなく、攻め抜くと宣言していたザッケローニの心意気に期待した。
しかし、長谷部キャプテンが言ったように、何もピッチ上で表現することは出来なかった。

コートジボワール_vs_日本_-_Google_検索

つくれない攻撃の機会

ボールの支配率は43%になっているが、印象としてはもっと低い。
常にコートジボワールがボールを保持し続けていた印象だ。
なかなかボールを奪えず、奪ったボールも安易に失ってしまった。
コートジボワールに比べておよそ3分の1の7本のシュートも、そのほとんどは印象に残っていない。
攻めるためにはボールを保持しなければならない。
アメリカンフットボールや野球のように、攻撃の権利が保証されていないサッカーでは、自らその機会を創りださねばならない。
4年間、この日のために準備してきたというのなら、その表現する機会は、自ら奪取しなければならないのだ。
守備面では、これまでの問題点に改善の兆しが見られ、早々に安易な失点をすることはなくなった。
マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたとはいえ、ヤヤ・トゥーレに効果的なシゴトをさせることもなかった。
ただ、ミドルレンジのシュートをフリーに打たせる恐さはいまだ抱えたまま。
ザッケローニが就任以来掲げている、高い位置でのボール奪取の場面は皆無で、コートジボワールのボール回しに指をくわえるしかなかった。

ドログバという勇気

膠着状態のピッチに風を吹かせたのはコートジボワールの方だった。
それは正確に言うと、ドログバという一人の男によって成し遂げられた。
その発言で泥沼化した内戦を止めるキッカケを作った男の登場は、明らかに重苦しい空気を吹き飛ばした。
テレビ観戦でも感じるくらいだから、現場では相当なインパクトがあったはずだ。
国民にとってカリスマ中のカリスマであるドログバというHEART AND SOULを拠り所に、わずか2分間で瞬く間に2得点を稼ぎだした。
彼らのピークはその2分間だったが、以後光を見いだせない日本代表にとっては、その時間だけで充分だった。

もとより第2戦!

初戦が大事!
これを落とせば厳しくなる!
コレは至極当然で、反論の余地はない。
しかし、そもそも僕は第2戦が勝負どころだと思っていた。
引き分けにも満たない結果となってしまった現在の、その重要性は言うまでもない。
しかし、望み通り、初戦で勝利していたとしても、取りこぼせない2戦目は重要だったはずだ。
それを失えば、初戦の勝利も台無しになってしまうものだからだ。
引き分けという選択肢がなくなり、勝つしかないという状況は、このチームに良いシンプルさをもたらすのではないだろうか。
「肉を切らせて骨を断つ」を具現化しているこのチームは、予選突破の状況もそうである方が、結果的に好都合かもしれない。
そして何より僕が期待しているのは、その姿勢だ。
2006年にオーストラリアにショッキングな敗戦を喫し、ファイテングポーズもとれなくなってしまったあの状態。
あの姿は見たくない。
やられたらやる返すしかない。
これまでどおり、肉を切らせて骨を断てばいいのだ。
表現したいことを好きなように表現すればいい。
僕は、ザッケローニが好きだし、彼がやってきたこともやろうとしていることも、支持する。
だから迷うことなく、これまで積み上げてきたものを思いっきり披露して欲しい。
そうして迎える結実を、僕は楽しみにしている。
もっとも、それを一番待ち望んでいるのは、ご本人に他ならないだろうが…

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