独白

彼女の小骨

実家に戻ると、空港から墓参りに直行させられるのがいつものパターン。
田舎にある実家では、車で15分もかければアレコレの縁のあるお墓を一巡りすることが出来る。
車の中には、いつも適切な量の生花とお線香がたんまりと積んである。
それを終えると彼女は決まって「ああ、これでホッとした」とか「ああ、これであんたも安心ね」と嬉しそうに話しだす。
彼女は僕がいない時でもしょっちゅうお墓参りに出かけ、頼んでもいないのに「あんたのこと頼んでおいたから」と一方的に言い放つ。
だから、彼女との思い出というとお墓参りに引きずられていくことになるのだろう。
海の見える小高い場所に立つお墓で、潮の香りと線香の混ざったものが僕の海馬に刻まれている。

彼女とは、母親の事で、ここんとこ会ってない。

いいところのお嬢さんであった彼女は父親と結婚し、会社の立ち上げから屋台骨を支える働きをし、3人の子供を育て上げた。
苦労を重ねたその家業を誰にも継がせまいと決意していたらしいが、そんなわけにもいかず、父親の死とともに承継されたその事業はあえなく立ちゆかなくなった。
さんざん苦労して羽振りがいいときもあったが、その恩恵を受けていたのは父親と子供たちばかりで、当のご本人はいつも変わらず働き詰めだった。
やっと解放されたと思った暁に、またもや心痛を背負うことになってしまった。

いつも弱音を吐かずケタケタと笑う彼女からの電話は苦手だ。
彼女自身が苦手なわけじゃない。
「あんたはうまくいってるの?」 との問いかけにうまく応えることが出来ないからだ。
「ああ、大丈夫!」 と胸を張って応えることが、あるいは上手にウソを付くことが出来ないために「ぼちぼち。。。」と口を濁すことしか出来ないからだ。
だから、気分が乗らないそのときには、ついつい電話を放置してしまう。
そして留守電にはお馴染みの「あんたはうまくいってるの?」というメッセージが残されている。
僕の誕生日にはアカペラのハッピーバースディが残されていたこともあった。
調子ハズレでやや照れながら歌うハッピーバースディ。
胸を張れない自分の現状と、器の小ささだけが浮かび上がった。
親孝行と呼べる活動は一切出来ておらず、なにより身を立てるという一番のソレとは程遠いところにいる僕だけど、一度だけ手紙を書いたことがある。
いつも明るくケタケタ笑う彼女が、反省の言葉を漏らすようになったからだ。
バリバリ働いていた彼女は、3番目の子供である僕にあんまり接する時間を取れなかったことを悔いているようだ。
「申し訳なかったわね。。。」 と涙を浮かべながらつぶやく。
上の兄弟二人はよくつるんでいたが、僕はハブられ気味。
独りでいることも多かった。
おばあちゃん従業員が、あれこれの面倒を見てくれていた。
だから、夕方そのおばあちゃん従業員が帰宅するときには、どうにも寂しくて連れて行ってくれと駄々をこねた。
あんまり駄々をこねる僕にキレた父親が「じゃあ、その家の子供になってしまえ!」と言い放ち、「じゃあ、なる!」と売り言葉に買い言葉で言い放ってしまった。
母親は負い目があるのか、悲しげにその様子を黙ってみていた。
その場面は、僕よりも母親のココロにずーっと残っているようだ。
こちらも親と呼ばれるものになってみれば、その立場とココロもよくわかる。
僕自身は、その環境をその後恨んだことはなく、ただの完成された「独り上手」になっただけ。
だから「申し訳なかったわね。。。」を繰り返す母の、その小骨を取り除いてあげたいなあと考えた。

だから、一度だけ手紙を書いた。
アレコレの親孝行ができていない僕にも、手紙くらいなら書くことは出来る。
僕は、育った環境をまったく恨んでいないこと、それどころかやりたいようにやらせてもらって感謝していること、ロクに親孝行ができていなくて申し訳ないと思っていること。
そうしたことを書き殴って送りつけた。

彼女はたいそう喜んでくれ、お棺の中にこの手紙を一緒に入れて欲しいといっているようだ。 彼女の小骨を小さくすることくらいは出来たようだ。
しかし、こちらの小骨は育つばかり。
一角のナニモノかになって親孝行するという機会は、いまだ成就しないまま。
彼女は今日も、適切な量の花を抱え、お墓参りに勤しんでいることだろう。
彼女がその中に入ってしまう前に、僕の小骨を取り除かなければならないのだが、いまだその道程は見えない。

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