独白

韓国の女のコ

チカバのスタバに、韓国の女の子が何人か働いている。
明るく快活で、最初たどたどしかった日本語もみるみる上達していく。
そればかりか、ちょっとした「間」のニュアンスでもコミュニケーションがとれるようになっていく。
いやいや、ほんとに大したもの。
とてもじゃないが、僕が逆の立場だったら、彼女たちのようには出来ないだろう。

彼女たちは留学生だったり、わざわざ向こうの学校を休学してきたりと様々だけど、なんとなく「どうして日本に来ることにしたの?」ということを聞きそびれている。
聞きづらいわけではなく、他の他愛ないおしゃべりをしているうちに忘れてしまうのがその理由なのだけど。
その流暢な日本語のフツーの会話に、最初はガイコクジンだと気づかなかったりする彼女たち。
時折、「ワタシ ガイコクジン ダカラ ワッカリマセン」とかふざけたりする。
彼女たちのサービスに「過」はあっても「不足」はない。
もちろん、客と従業員という関係性もあるし、あちらはホスピタリティを前面に押し出している世界一のサードプレイス。
ブランドとして約束している一定以上のサービス品質を保たなければならない。
ただ、標準作業を行うにしても、どうしたってその人クサさはにじみ出るもの。
だから、スタバの教育が行き届いているということだけではなく、大きな理由は彼女たちのよいパーソナリティーだと思う。
こうしてニチジョー触れ合う彼女たちとのやりとりと、日本韓国間でのあれこれの報道。 ここのギャップがうまらない。

それは韓国に行った時だってそうだった。
まだ韓流がやって来るはるか前、日韓ワールドカップが正式決定する前に、アチラに仕事で行くことがあった。
半分、接待されにいったようなものだから、日本語が話せる担当さんがつきっきりで、とってもよくしてもらった。
そして、日本語がまったくダメな無口で無愛想な運転手もずっと同行。 仕事だから当然、客の立場の僕を嫌な目に合わせるはずもない。
ただ、空港での別れ際、無口な運転手に感謝を伝えると、なんというか素晴らしい笑顔を返してくれた。
そして、韓国語がダメな僕にはまったく理解できなかったけれど、ニッコリ微笑みながら二言三言、握手にグッと力が入った。
韓国の反日的な報道がある度に、あの場面を思い出し、チカバの女の子たちを思い浮かべる。そうして、どうにも両者を結びつけることが出来ずにいる。
政府と国民は一体ではないし、そのそれぞれも一体ではない。
コチラもアチラも、政府は政府で、国民は国民で、様々な考え方と利益が渦巻いて、統一見解が存在するわけはない。 両国間のアレコレの事実に、様々な思惑が絡んで脚色され捏造され、はたまた蓋がされる。
そんなこんなに振り回されて、過去は過去で未来志向で行きましょうなんてシンプルなキャッチフレーズを口にすることは出来なくなっているのかもしれないが、彼や彼女とニチジョーで交わしたナニカは、確実に存在していたはずだ。

休学の期限を迎え、帰国が決まった一人が彼女たちの中にいる。
ついぞ、「どうして日本に来ることにしたの?」という質問は聞けずじまいだった。
そして、「実際、日本に来てみてどうだった?」ということも。
彼女は、母国の知り合いにどんな風に話すのだろう。
しかし、それはもう気にならない。
ニチジョーで、心地よい時間をわずかばかりでも共有できた事実が確かに存在するのだから。

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