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「なぎさホテル」伊集院静 レビュー 「誰かさんの救い」

「人は悲しみとともに歩むものだが、決して悲嘆するようなことばかりではない」

というプロローグで物語が始まる。

今の、壊れてしまった東京の暮らしを捨て去る前に、海だけは見ていこうとふらりと逗子に立ち寄った筆者と、そこで出会った人々とその中心に位置するホテルについて語られる物語だ。

縁もゆかりもない、どう見てもまともに金が払えなさそうな若者を、本当の家族のように、いや、本当の家族以上に受容してくれるホテルの人々。
宿泊料金の支払いを待ってくれるどころか、金まで貸して旅行に行くことすら勧めてくれる。
そんな人々と筆者の7年間に及ぶ物語が綴られている。

もしあなたが、現在「うまくいっている」のなら伊集院静という一人の作家が世に出るまでのストーリーとして楽しめるだろう。
しかし、もしあなたが「失意の中」にいるのであれば、とても客観的に読み進むことは出来ない。

たとえば僕のように。

表現は抑制されている。
しかし、その抑制された表現に、これまでの自分への怒り、失望、悔恨、そしてこの先への不安と不信が渦巻いていて、同じ思いを抱えるものは、自分のその部分が敏感に刺激されることに耐えられなくなってくる。
その部分に出くわすたびに、はたとページをめくる手は止まり、自分自身の見たくない部分と対峙させられる。
そうして、「うまくいっていない」もの特有の妬みと劣等感が頭をもたげてくる。
こちとら、人に語って聴かせるほどのドラマチックな不幸もなければ、ましてやまだまだ底も底。
奥深い井戸の底から見上げる僅かな空は、思いっきり曇天だ。
結局、あなたは恵まれていて、何しろ現在、名を成しているじゃないかと。

しかし、そうしたドロドロの感情を抱えながら読み進めるうちに、人の顔が浮かんでくる。
それも、この物語の登場人物ではなく、僕のまわりにいる人達の。
僕にも、このホテルで過ごして得られるようなものを与えてくれる人達は存在しているのだ。 理由もなく、恩義もないのに、僕を受容し、ナニカを与えてくれる人達。
そして何より、こんな僕に絶対的な信頼を寄せてくれる「誰かさん」の顔が強烈に浮かぶ。

筆者は、次のように記している。

「ただ私は、一冊の、一行の言葉が、人間に何かを与え、時によっては、その人を救済することがあると信じている」

ここに救済の方法が書かれているわけではないし、読み終わったところで問題が解決されているわけではない。
ただ、あまりにも近くに居すぎて忘れがちな「誰かさん」のことを思い出させてくれるだけで十分だ。
失意という洗面器にアタマを突っ込みぱなしにしているうちに見えなくなってしまっていた、傍らで微笑んでくれている「誰かさん」。
そういう人がいてくれることを思い出すことが、救いでないわけがないのだから。

なぎさホテル (小学館文庫)
伊集院 静
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