「御期待ください。」
この言葉に嘘はなかった。
賛否両論と言われていたシン・仮面ライダーは、とても面白かった。
予想外だったのは、改造人間にされたことで孤独に戦う男の物語ではなかったことだ。
本郷猛はオーグメントになったことで、孤独から解放されることになった。
そこには、信託のタンデムの存在がある。
劇場の音響効果
限定配信されている20分ほどの本編映像を、ご覧になった方も多いだろう。
僕も事前にチェックしていた。
だが、映画館で観たそれは、まったくの別物。
大きなスクリーンの存在よりも、それは音響の効果によるものだ。
僕が観たのは、Dolby CinemaやIMAXなんかじゃない、まったくのノーマルバージョンだ。
それでも、のっけから始まるチェイスシーンのバイクの爆音が腹に響く。
その感覚が、本郷猛が体の中から風の音がすると戸惑うシーンの臨場感を高めてくれる。
本郷猛 / 仮面ライダー・第1バッタオーグ
アクションシーンもシンプルでソリッドだ。
それは組み手というよりも、ただただ殴る蹴るに近い。
しかし、その一撃だけでSHOCKERの下級構成員たちは顔を潰されるほどの威力がある。
オーグメントが、改造人間が、どれほどアップグレードされているかを物語る端的なシーンだ。
そしてその強大な力を与えられた本郷猛を演じるのが、池松壮亮である。
いかにも強そうな男が演じるよりも、強大な力と戸惑いのコントラストが浮き彫りになる。
過ぎた力を突然与えられた男を演じるには、最適なキャスティングだろう。
頭脳明晰、スポーツ万能なれどコミュ障が祟って無職の男は、なんの役目も負っていなかった。
かつての恩師とはいえ、一切の説明もないまま、昆虫なんかと合成してしまった男に彼は怒りを見せることはない。
防護服とヘルメットの下の自らの禍々しい姿を見た後でさえだ。
なぜだろう?
目の前に切迫した状況が繰り広げられていたこともあるだろう。
死の間際、彼に信じて託した者の存在もあるだろう。
いずれにせよ、バイクで無為に漂うだけの男に、方向と役目が与えられることになる。
皮肉にも、他のオーグメントたちと同様に、そのことが彼自身の幸福を追求させる始まりとなった。
「僕は人を守りたいと思う」
それが彼の幸福であり、それは最後まで追求され続けた。
いや、プラーナとしてヘルメットに固定された今も追求しているはずだ。
いずれにせよ、その始まりは使命感などではない。
信じて託されたことが始まりなのだ。
ロンリーライダーは、信託とタンデムすることで自らの幸福に向かう方向を知ることができるようになったのだ。
緑川ルリ子
その信託の目に見えるカタチが緑川ルリ子だ。
緑川博士から本郷猛への信託財産そのものといっていい彼女は、まずは組織からの脱出を導いてくれた。
そこから、タンデムは始まった。
バッタオーグの性能面だけを評価していた彼女は、やがて本郷猛そのものに信頼を置くようになる。
この映画にはタンデムシーンが多い。
なんだったら、ダブルライダーのタンデムシーンさえある。
しかし改めて考えてみると、バイクにおけるタンデムって相当な信頼関係がないと成り立たないのではないだろうか?
それなりのスピードで走るバイクと自分を固定させるものが、巻きつけた自分の腕だけなんて…
さしもの生体電算機も恐怖を感じるのか、巻きつける腕にきゅっと力が入る姿がかわいらしい。
自分の名前を言えない女優としてすっかり名前が売れてしまった浜辺美波だが、彼女がこれほど美しいとスクリーンで観るまで気づかなかった。
その高い透明度の美しさは、生体電算機である緑川ルリ子という存在にピッタリのキャスティングだった。
端的でぶっきらぼうな彼女だからこそ、あのビデオメッセージとのコントラストが映える。
本郷猛との生活の中で、幸福を概念ではなく、肌で感じ取れるようになった彼女のギャップが魅力的だ。
彼女が理解した幸福は、目から脳にインストールしたものではなく、タンデムで巻きつけた腕から感じ取ったものなのだろう。
父が信じて彼女を託した男を、彼女もまた信じて全てを託すことになる。
それは流石の用意周到さだった。
言うだけのことはある。
余談だが、ハチオーグに洗脳された敵が迫る中、本郷猛と緑川ルリ子が慌てるでもなく淡々とキャンプ道具をしまうシーンは、マイフェイバリットのひとつだ。
一文字隼人 / 仮面ライダー第2号・第2バッタオーグ
事前に知ったキャスティングで最も違和感を感じていたのが、柄本佑。
これについては謝罪しかない。
彼は、立派に一文字隼人を、歯切れの良い快男子を演じてくれた。
一文字隼人は、洗脳が解ける前でさえ、本気を出さなければ緑川ルリ子を守ることもできないぞと本郷猛を叱咤激励する。
そうして彼はパリハライズによって洗脳を解かれた直後、すなわち満ち足りていた多幸感を失い、忘れていた絶望を思い出した直後に関わらず、本郷猛を助けに現れる。
名前通り、まっすぐで強い男なのだ。
彼は本郷猛と違い、オーグメントになって得られた強大な力を振るうことに躊躇などしない。
コミュ障である本郷猛に躊躇なく突っ込んでコミュニケーションを是正させるシーンも、マイフェイバリットのひとつだ。
2人の共闘は、胸が熱くなる。
ダブルライダーが!という定型のそれではない。
2人の男が邂逅し、躊躇なく持てる力を解放して戦う姿が胸を打つのはライダー世界に限ったことではない。
そしてまた、一文字隼人も、本郷猛に信じて託される。
1人が気楽だと笑い飛ばしていた男は、1人でいることにすっかり物足りなさを感じるようになってしまったようだ。
そんな彼には、少し毛色の違うタンデムが用意されていた。
こうしてみると、孤独な戦いを強いられた存在は、どこにも見当たらない。
信じてくれる誰かがいて、託してくれる誰かがいて、そうしてまた自分にも信じられる誰かがいて、託せる誰かがいる。
それはやがて、自分が信じている人が信じているものを信じてみようと広がりを産んでいく。
それを目の当たりにしたことが、緑川イチローの決断につながったのだろう。
タフでミーンな日本政府
今回登場した日本政府は、シン・ゴジラや、シン・ウルトラマンに登場したようなひ弱な組織ではない。
それらの世界で日本政府は、官民あわせてだけでは足りず、世界中の叡智を結集させながら、ようやく解決策の糸口を見つけられる程度だった。
しかし今回登場する政府は、片手間でSHOCKERを押さえつけている。
全てを網羅していた彼らは、緑川親子の造反まで、SHOCKERを泳がせていたように見える。
オーグメントのアジトを探知する能力があり、彼らだけでオーグメントを排除する実力も有している。
しかも、サソリオーグの毒を武器に転用する技術力も有しており、それを算段に入れて強襲する順番を決める余裕さえ持っている。
プラーナの移動や固定も可能な技術力も有しており、その気になればオーグメンテーション手術も可能なのではないだろうか?
現時点でそれを実施していないのは、国家の倫理観という建前なのか。
そんな彼らであれば、人工知能 アイの所在地も把握しているんじゃないだろうか。
それを破壊しないのは、噂される「10月計画」への流用のためなんだろうか?
Anyway、おそらく偽名であろう立花と名乗る男が気になる。
政府高官と呼べるほどには強い肩書を持っていないであろう、その男は、本郷猛にこんなことを言っている。
こんなことが言えるのは、自らも強い絶望を経験した男だけだ。
これまでお目にかかった政府の男と比べて影があるように感じられるのも気になるところだ。
彼は、どんな絶望を経験したというのだろう…
さらに滝と名乗るバディのような男も、任務遂行のためには非情に徹することができる。
もし庵野秀明監督の構想通りに続編が生まれるのなら、一文字隼人が対峙する日本政府は、相当に厄介だ。
そのとき、オーグメントを、仮面ライダーを熟知した2人の男が、どんな立ち位置にいるのかは相当に興味深い。
オリジナルを知らなくても
僕は、仮面ライダーはリアルタイムではあるが、まだモノゴコロがインストールされていない年齢だったので、知ってはいるが理解はしていなかった。
その後、特撮マニアのように後追いすることもなかったので、理解することもなく放置していた。
だから、仮面ライダーを知らなくても、この作品は楽しめるはずだ。
オリジナルの荒唐無稽なところ、以前よくネタにされていたツッコミどころが補修されて、現代に合うようにモディファイされているはずだ。
例えば、どうしてマスクの後ろから髪の毛が出ているのか?
あるいは、変身した後、それまで来ていた洋服はどうなったのよ?
とかそういう類のものだ。
いわゆる、ハルクのズボン的な話だ。
シン・ウルトラマンのときには、プランク・ブレーンからウルトラマンの体を召喚するというカタチで説明された。
今回は、ヘルメットはかぶらなきゃいけないし、防護服はそのままで、変身するのは身体そのものであるというカタチで説明されている。
防護服が洗濯が必要な事も…
もちろん、オリジナルを熟知されている方は、あちこちに埋め込まれたイースターエッグを掘り出しては堪能されていることだろう。
僕が、オリジナルを見ていて良かったと感じたシーンは、ひとつだけある。
それは、アンチSHOCKER同盟が一文字隼人に新たに用意した防護服とサイクロンを見たときだ。
ここで、それが登場するのか!
最後の最後にまた大きなピークを迎えてしまった…
マスクキーホルダー
僕には珍しく鑑賞後にグッズを買ってしまった。
マスクキーホルダーを買ってしまったのは、あの色々が詰まった本郷のマスクを手元に置いておきたかったからだ。
本郷が信じたものを僕も信じる!ということで…