あれだけ守ってくれていたマフラーを邪魔に感じるようになり、タートルネックさえウザったい。
手放せなかったニットキャップからは、耳が外に出してくれと悲鳴をあげている。
それは、そうだ。
気づけば陽射しの質が変わってる。
また、春がやって来てしまったのだ。
強くなった陽射しに浮かれて春を迎えたのは、いつが最後だっただろうか?
いつのころからか、春は、もっとも憂鬱な季節になってしまった。
春はまぶしい季節だ。
「4月からは!」と意気揚々とゲームプラン通りに進む人生を報告するものもいれば、「4月からは…」と巻き返しの決意をつぶやくものもいる。
いずれにせよ、そうした彼や彼女たちは、強い輝きを放っている。
希望という表現は稚拙だが、それでも希望と表現するしかない、ど直球の強い輝き。
僕はといえば、その強い輝きに生まれる深い影にとどまっている。
いまだホームスタジアムが定まらないまま、アウェイ・ゲームの最中だ。
遥か昔に組んだゲームプランは、もう役に立つこともなく、その概要すら覚えちゃいない。
巻き返しの糸口は見えず、開いていくスコアボードを見守ることしかできない。
ゲームクロックも備わっていない場末のグランドは、残り時間を確認することさえ許してくれることはない。
肌の感覚が、もう第4Qに入ったことを教えてくれてはいるが、無駄に浪費したタイムアウトは、きっともう残されていないだろう。
ラスト2ミニッツに入っていないことに安堵すべきか、ラスト2ミニッツに入っていることを喜ぶべきか、そのスタンスさえ定められないまま、こうして深い影にとどまっている。
もとより、ゲームクロックは、どこにも見当たりはしないのだが…
そうだ、野球帽を買おう。
強烈な陽射しのスタジアムで野球選手の目を守ってくれる野球帽があれば、眩い春を乗り越えられるかもしれない。
眩い輝きを放つ彼や彼女に出会っても、目を背けずに済むだろう。
そして、ポップなデザインのベースボールキャップを選ぼう。
そうしたものをのっけていれば、春に浮かれたオトコに見えるだろう。
そうして浮かれたふりをして、抱えたままの憂鬱には封をする。
せめてそう振る舞うことこそが、春を眩くするものたちへの、僕に唯一残された祝福なのだから…