今ではマラソンの給水ポイントよりも少なくなってしまった喫煙所。
ようやくソコにたどり着いたからといって安心することはできない。
通り過ぎるガキ、失礼、少女が「受動喫煙ー!」と大声で騒ぎ立てる。
通りすがりに「臭いわね!」とこれ見よがしに吐き捨てるババア、失礼、ご婦人の洗礼が待っている。
彼女たちがそんな言葉を投げつけるのは、それを生業としてる煙草屋の店先だ。
喫煙者のマナー向上ばかりが叫ばれて、もう何十年。
その一方でノンスモーカーのマナーは、TwitterのTL並みに低下していく。
だが、彼女たちの発言にも一理ある。
タバコ「は」クサイ。
しかし、正確に言い換えるならば、タバコ「も」クサイのだ。
禁煙でつらいこと
こんな僕でも、2年ほどタバコをやめていたことがある。
禁煙でつらかったこと、それはタバコが吸えないことではなかった。
セカイのあらゆる匂いが飛び込んできたのだ。
そして、そのほとんどは素晴らしくなかった。
食べ物を作っている匂い、食べ物を食べた後の匂い、捨てられた食べ物の匂い。
どんな食べ物を食べたかという履歴とともに、その生活環境固有の匂いも合わさった履歴書を引っさげて平気な顔をして誰もが歩き回っている。
そこに若い生き物特有の匂い、若くない生き物特有の匂いがブレンドされる様は、カオスというのにふさわしい。
そうしたものをブレンドして封をする満員電車に乗ることは修行の域を超えている。
これほどの醜悪な匂いに満たされながら、タバコだけがクサイとおっしゃる。
セカイはこれほどの悪臭に満ちているというのに…
誰かが、タバコは叩いていいと決めたのだ。
俺は客なんだから、タクシー運転手なんぞは殴っていいというようなメンタリティのもとに。
男だったら絶対にちょび髭を生やしていたはずだという都知事は、ことのほか熱心だ。
もっとも、自分が中央に返り咲くためだけにこしらえた空っぽの政党には、それが唯一の手をつけられる政策だったのだが…
歴史上、禁煙に最も熱心だったのがナチスであったことも偶然ではないだろう。
誰かさんの好みと思い上がりは、自分以外の権利を制限するのに迷いがない。
アルコールは消費拡大キャンペーンが必要だと叫ばれる。
タバコよりも危険なものであるにもかかわらず…
タバコは、ゆっくりと命を奪うものなのかもしれない。
しかし、アルコールに関しては、即時性がある。
しかも、飲酒運転の巻き添えになれば、アルコールを口にしていない人間の命さえ奪ってしまう。
喫煙運転による死亡事故なんて耳にしたことがない。
それでも、アルコールは消費拡大キャンペーンを打ち、喫煙所は削っていく。
致し方ない。
誰かが、タバコは叩いていいと決めたのだ。
ナチスよりも
皮肉なことに、あのナチスも叩いていいと名指しされている。
あの政党と党首には、どのような誹謗中傷、こきおろしをしてもいいことになっている。
もちろん僕も肩を持つつもりはない。
それだけのことをしでかしたのだ。
しかし、それよりも多くの人命を奪い、非道のかぎりを尽くしているものが
いっこうに批判されることがない。
すでに壊滅したナチスと違って、そちらは絶賛営業中だ。
「まるでヒトラーのようだ!」
と批判することはあっても、彼よりも多くの虐殺を行った独裁者の名前が、そこに用いられることはない。
アドルフなんて名前がついていれば大騒ぎになるところなのに、さらに多くの命を奪った独裁者の名前がつけられた者には誰も騒ぎ立てることはない。
そして現在だ。
過去にひどいことがあったよねと年表をめくっている場合ではない。
ジェノサイドと一言で片付けるには、あまりにも残酷な状況がリアルタイムで進行している。
ナチスより商売人である彼らは、ハラール・オーガンなんて1兆円にものぼる新規事業にも邁進している。
意外なのは、絆が強いであろうイスラム諸国がダンマリを決め込んでいることだ。
全ての信徒が相互扶助関係である信仰共同体に属するという考えは、いにしえのものに過ぎないのだろうか…
そうしてセカイもダンマリを決め込んでいる。
あのナチスの起こした悲劇を許せない!
ヒトラーは唾棄すべきだ!
そう声高に叫んでいたくせに。
それよりも残虐な振る舞いに、国内の電波が青筋を立てることはない。
核実験で土地を汚され、命を奪われ、家族も分断され、文化も、何より尊厳も奪われた人たちにセカイは冷淡だ。
ようやく国連が報告書をまとめたが、抜本的な対策は講じることができていない。
国内においては「万人の幸福」を謳う輩が立ちはだかって非難決議すらままならない。
きっと僕らが目にする本当の1984は、英語ではない言語に支配されていることだろう。
そうしてそれが完成する頃には、日本はきっと自治区と呼ばれているはずだ。
セカイは醜悪な匂いに満ちている。
だから、謹んでタイトルを訂正しなければならないだろう。
セカイこそがクサイのだ…