「さよなら」という言葉が好きで、しょっちゅう使っているのだけれど、まわりは違和感があるらしい。
馴染みのスタバを出るときに、職場から解放される時に、「さよなら」と告げると「えー!もうちょっと違う表現で」と言われる。
コチラは、折り目正しい幼稚園児の頃から「先生、さようなら!みなさん、さようなら!」と刷り込まれてきたのに。
しかし、語源を探ってみれば、彼女たちの指摘も正しい。
そもそもの「さよなら」
さようなら
【意味】 さようならとは、別れるときの挨拶の言葉。さよなら。
【さようならの語源・由来】
さようならは、「左様ならば(さやうならば)」の「ば」が略され、挨拶になった語。
現在で別れ際に言う「じゃあ、そういうことで」のようなもので、「さやうならば(さようならば)」は、「そういうことならば」を意味する。
引用元: さようなら – 語源由来辞典.
語源を見れば、「さよなら」はもう二度と会うことのない別れを表現しているようだ。
「左様ならば」もう、あなたと人生で交わることはないでしょう。という具合に。
そうしてみれば、我らがフィリップ・マーロウが、「長いお別れ」の中で、名前も顔も変えてしまったテリー・レノックスに「さよなら、マイオラノス君」と言い放った場面がもっともふさわしい使い方かもしれない。
そういうことであるならば、君とはもうギムレットは飲めないというふうに。
言えない「さよなら」
しかし、本当の「さよなら」は告げることなく終わってしまう。
もう二度と会うことが出来くなってしまった彼女や彼らとの。
それらは蜜月の終焉の時だったり、唐突な事故や病気での死だったり…
そうした言えなかった「さよなら」を抱えた僕は、無意識に、日常で消費しているわけではないだろうが…
奇しくも今日は大晦日。
「さよなら」を公的に大声で堂々と言うのに、これほどふさわしい日はない。
さよなら2014年、もう会うこともない。
いやせっかくだ。
どうせなら、別れの言葉にはつきものの捨て台詞も加えてみよう。