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2024 Army-Navy Game 「第101空挺師団 vs ジョリー・ロジャー」

今年で125回目の対戦となるArmy–Navy Game12月14日に開催される。
この一戦だけには絶対に負けられない、陸軍士官学校と海軍兵学校が、このゲームでしか着用しないスペシャルなユニフォームを、今年も公開した。
今年は、第101空挺師団 vs ジョリー・ロジャー。
日本人の僕らでも知っている、有名どころの対決となった。

2024 Army Uniform: 101st Airborne Division

第101空挺師団

それほど軍事に詳しくない人でも、この名前は、どこかで聞き覚えがあるはずだ。
なぜなら、史実に残る数々の有名な作戦に足跡を残し、それらは、幾たびも映画化されている。
史上最大の作戦と呼ぶのがふさわしいノルマンディー上陸作戦。
そして、失敗の苦い記憶、マーケット・ガーデン作戦。
それには、今では名づけられないであろう、遠すぎた橋というシンプルで趣深い邦題がつけられている。
そうして、バルジ大作戦だ。
その中で、今回は、バストーニュの包囲がフィーチャーされている。
バストーニュの地で、ナチスにすっかり包囲され、降伏寸前まで追い詰められた彼らは、3週間にも及ぶ近接戦闘を生き延びたのだ。

Rendezvous with Destiny

ノルマンディーに上陸して以降、予想を上回る進軍スピードにロジスティクスが追いつかなかった。
物資の遅れは、作戦の遂行を滞らせてしまう。
その間に、ヒトラーは大反転攻勢の準備を進めていたのだ。
そうして、7本の主要道路が交わる重要地点、バストーニュに、精鋭部隊である第101空挺師団が降下する事となった。

彼らが苦戦した原因のひとつは、暗い松林と霧と雪だ。
それらが航空機による支援を困難なものにしてしまった。

ユニフォーム全体に、スパイクに至るまで、暗いブラックをベースにパウダースノーが表現されている。

Rendezvous with Destiny

NUTS!

あの有名な4文字のタイプライター版が、ユニフォームのタイポグラフィーに反映されている。
ドイツ軍のハインツ・ココット少将より、大変丁寧な降伏勧告を受け取ったアンソニー・マコーリフ准将は、わずか4文字で返答してみせた。
NUTS!
米国人同士であれば、意味も何も、毛穴の先まで全てが伝わるだろうが、受け取ったドイツ人には、その意味が理解できなかった。
そこで、直接手紙を届けに来ていたジョセフ・ハーパー大佐は、ご丁寧に意訳をして差し上げた。
「地獄に堕ちろという意味です」と。
このことを耳にしたアメリカ軍兵士の士気は一気に高まった。

Screaming Eagles

Rendezvous with Destiny

ヘルメットには、部隊の識別マークがランダムに割り当てられている。
そうして、彼らのニックネームであるScreaming Eaglesを表すパッチも。

Rendezvous With Destiny

彼らのモットーは、運命とのランデブー。
運命なんて口にできるのは、本当にギリギリの局面に遭遇したものだけだろう。
何の安全も確保されていない場所に、真っ先に自分の足で歩き回るために降下するなんて、自己責任だけじゃ荷が勝ちすぎる。
運命なんてコントロールできないものに、遊びを持たせておきたくなるのだろう…

リトルロック高校事件

空挺である彼らの活躍する舞台は、国外に限られると思いきや、彼らは国内でも重要な場面で活躍を見せていた。

Rendezvous with Destiny

舞台は1957年の、しかもアーカンソーだ。
ついに白人と黒人の分離教育が違憲となり、リトルロック・セントラル高校に9人の黒人が入学しようとした。
しかし、あろうことかオーヴァル・フォーバス知事は州兵まで動員して彼らの登校を阻止した。
そうして、アイゼンハワーは、またも第101空挺師団に派遣命令を下したのだ。
違っていたのは、もうアイゼンハワーは大統領に上りつめており、派遣先がアメリカ国内だったことだ。
州単位で編成される通常の歩兵師団と違って、第101空挺師団はすべての州から招集されるオールアメリカン部隊であり、州から独立した部隊だったからだ。
9人の黒人学生にとっては、自己の権利と責任を果たそうとするものには、運命なんかより第101空挺師団とのランデブーの方が、どれほど心強かったことだろうか…

2024 Navy Uniform: Jolly Rogers

VF-1S バルキリー


TAMASHII NATIONS DX超合金 超時空要塞マクロス 初回限定版VF-1S バルキリー ロイ・フォッカースペシャル 約300mm ABS&PVC&ダイキャスト製 塗装済み可動フィギュア

初めてこのユニフォームを見た僕の率直な感想は、こりゃ、ロイ・フォッカー少佐の愛機、VF-1S バルキリーのバトロイド形態じゃないか!というものだった。
ホワイト主体のカラーリングが、よりしっくり感を高める。

まあ、そりゃ、そうだ。
ロイ・フォッカー少佐は、統合軍に編入されてVF-0 フェニックスに乗るまでは、おそらく米海軍に所属してF-14あたりに搭乗していたはずだ。
となれば、VF-84 第84戦闘飛行隊に所属していたことになる。
なぜなら、ジョリー・ロジャーのニックネームは彼らのものだったからだ。

この時代の、このカラーリングのトムキャットは、よく目にした記憶がある。

VFA-103

なぜ、だったと過去形で記しているかといえば、VF-84は1995年に解散となり、そのニックネームとマーキングはVFA-103 ストライクファイター中隊103に引き継がれているからだ。
そして機体もF/A-18Fに変更されている。

そう、ジョリー・ロジャーは、部隊名と、その機体を変更しながら脈々と受け継がれているのだ。
その歴史がパンツのラインに記されている。

VF-17 // 1943-1946
VF-5B // 1946-1948
VF-61 // 1948-1959
VF-84 // 1959-1995
VF-103 // 1995-2005
VFA-103 // 2005-PRESENT

Here’s To Victory

ヘルメットとジャージのストライプにも、これまで所属した9種類の航空機を表すアイコンが配置されている。

Here’s To Victory

さらに、このグローブのデザインは秀逸だ。

: Here’s To Victory

VF-17

1943年、F-4U コルセアの登場が全ての始まりだ。
海賊を意味するコルセアにピッタリのマーキングとして、ジョリー・ロジャーが初めて航空機に採用されたのだ。
この機体は空母での運用に適していなかったようだが、VF-17では愛用されていた。

“Skipper, I can’t get out!” followed by a short pause and then, “Remember me with the Jolly Rogers!”

ENS Jack Ernie

FEAR THE BONES

ジョリー・ロジャーは、そもそも17世紀ごろから、海賊旗として使用されていたようだ。
目的は怯えさせ降伏を迫ること。
もっとも、現在では、このマークのついた尾翼を見かけなくても、アメリカ機動艦隊に所属する空母が近海に近づいただけで、一部の指導者たちは、直ちに安眠を奪われてしまうだろうが…

ただし、この脅しがまったく通じぬ相手を僕は知っている。
EAR THE BONESと言ったって、Armyの連中はきっと、NUTS!の4文字だけを投げつけるはずだ…

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