何十年も生き続けてたって、「生」というものを1ミリも解説できはしない。
だから、一度も経験したことのない「死」なんてものを語るには、そのヒントの探し方すらわからない。
しかし、手話を操るゴリラのココは、誰よりも明確にかつ端的に、それを表現することが出来る。
「苦労のない 穴に さようなら」と。
手話で600語以上の単語を習得した
ココというゴリラが研究者のムーリンと
「死」について会話した内容は
次のとおりですムー:念を押しますよ、
このゴリラは生きているの、
それとも死んでいる?
ココ:死んでいる さようなら。
ムー:ゴリラは死ぬとき、どう感じるかしら?
--しあわせ、かなしい、それとも怖い?
ココ:眠る。
ムー:ゴリラは死ぬと、どこにいくの?
ココ:苦労のない 穴に さようなら。
ムー:いつゴリラは死ぬの?
ココ:年とり 病気で。どうですか
僕はこの部分を読んだとき
身震いしたのを覚えています人間と同じじゃないか と
ちなみに手話の素は英語です
「苦労のない 穴に さようなら。」
の原文は
“Comfortable hole bye.”
となっているようです情報源: coach-bali
研究所を併設した病院の敷地は、年季の入った緑が豊かだった。
それが5月という季節にのっかって、「生」というものを声高にエネルギッシュに歌い上げている。
そうした緑のミュージカルに囲まれ歩くうち、その先で死者が面会を待っているというこの状況が、ますます腑に落ちなくなっていく。
清潔で静かな病棟に入ると、気づいた看護士が無言の、しかし深い表情で軽く一礼する。
そうして、さっきまで賑やかだった緑のミュージカルはどこかに消え去ってしまい、この色を失ったセカイが現実であることを思い知らされる。
臨終の瞬間に立ち会えなかったのは幸運だった。
そんな場面に立ち会ったって、かける言葉も、反応の作法も持ち合わせちゃいない。
だからこうして、その後に、心構えをする時間をとってから現れるくらいでちょうどいい。
もっとも、ココロガマエというものは、ついぞ1ミリも出来なかったが…
見栄っ張りの兄らしく、パンピーのようなありきたりな病気ではなかった。
骨髄線維症という、日本では700人程度のレアな病気が原因だった。
「症例が少なすぎて、いつどうなるかわからない。」
発症がわかって、そう宣告されてからは、ずいぶん長いこと病気と付き合っていた。
そして同じ頃、父から引き継いだ会社の経営難とも、二股にかけていた。
ほんとうはやりたくなかったその仕事を、長男というブランドの名にかけてどっかりと背負い込んだ末の事だった。
僕の知らない良いこともあっただろう。
僕の知らない厳しい状況もあっただろう。
そんなこんなも過ぎ去って、今ではアチラに行ってしまった。
もっとも、いまだにコチラにいたって、分かち合えるわけでもないのだが…
何か整理がつくのかもしれない。
そう思って、こうして駄文を打ってみる。
しかし、あっちこっちの扉を開いただけで、それは一向にまとまらない。
そもそも生活を共にしておらず、雑多な日常にその存在を思い出すことのない誰かさんと、死者との線引が僕には未だ出来ていない。
だから随分前にアチラに行ってしまった父も、いまだに本当に死んでいるのかどうかがよくわからない。
コチラにいても、その存在を思い出されることのない誰かさんが死んでいるのと同じように、アチラにいても、その存在を思い出される誰かさんは、そのとき生きている。
「苦労のない 穴に さようなら」
いい言葉だ。
もしココの言うとおりならば、兄貴もやっとこさシンドイばかりの二股からは解放されているのだろう。
火葬場の職員が、これまで見たことがないと驚くほど見事に残された喉仏。
それは、兄貴が最後まで張り続けた見栄のように思えた。