まだまだ迷いっぱなしの子羊の群れには、神のお導きが必要なのだ。
しかも、「あざとさ」と浅知恵を身につけた子羊の群れには…

カトリック教会の総本山・バチカンのトップに君臨するローマ教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>は、世界中が固唾をのんで注目する一大イベントだ。ところが外部からの介入や圧力を徹底的に遮断する選挙の舞台裏は、ほんのひと握りの関係者以外、知る由もない。この完全なる秘密主義のベールに覆われた選挙戦の内幕を描くのが映画『教皇選挙』である。
映画『教皇選挙』公式サイト|2025年3月20日(木・祝)全国公開
神の意思
教皇選挙が、Amazonプライム・ビデオで配信された。
この作品の一つの要素は、真実を解明していくミステリー要素であることは間違いない。
急遽、コンクラーベを執行しなくてはならなくなったトマス・ローレンス枢機卿は、依頼人のいないプライベートアイのように、謎と陰謀を解き明かしていく。
だが、狭い世界でのしあがっただけの枢機卿たちの考える陰謀など幼稚でイージーに足がつく。
それでも自分は守られるという思い上がりが、その稚拙さを助長するのだろう。
トマス・ローレンス枢機卿の目的も、陰謀の解明や犯人探しなどではない。
ただただ、コンクラーベを滞りなく執行していくためだ。
何より、新しいローマ教皇を選出するためなのだ。
オリンピックという存在がもっとも政治的存在になったように、世俗と切り離されたと思えるセカイこそ政治的なものに陥っていく。
教会は揺れていた。
戦いをも辞さず厳格に伝統を守るべきだと主張する保守派と、多様性という新しい錦の御旗を掲げるものの間で。
言い換えれば、暴力を実体験したこともなく、多様性を言葉でしか発したことのないものたちの間で…
そうして神は、これらのものをお導きになったのだろう。
まだまだ、これらには任せておけぬと。
そうして神は、新しい教皇を遣わされた。
アフガニスタンで、戦争という暴力をまざまざと味わい、多様性という言葉では割り切れないカラダを持つ、新しい教皇を。
その教皇にインノケンティウスと名乗らせたのは、権威に溺れるどころか、自己の欲望からさえも脱却できない教会の面々に対する、神からの笑えない冗談なのだろう。
帰天した教皇が、インノケンティウスの辞職を思いとどまらせたのは、神の啓示を受けていたのかもしれない。
そして、インノケンティウスの最後の判断も、神の意思に沿うものなのだろう…
コンクラーベ
この作品のもう一つの見どころは、コンクラーベがどのように進められていくのかを描いたことにある。
実在の枢機卿がコンクラーベに参加するために参考にしたという話もある。
僕らは煙が何色かなんて騒ぐだけで、その重い扉の向こうで何がおこわれているかなんて、まるで知りようもなかったのだから。
端的に言えば、三分の二以上の票を獲得するものが現れるまで、延々と投票が繰り返されることになっている。
それゆえ、この作品では投票シーンが多い。
しかし、謎が明かされるたび、陰謀が明らかになるたび、ビビッドに変わっていく投票結果に、緊張感が増していく。
今度の投票結果は、どうなるだろうと目が離せなくなる。
絵画のようなカット
この作品には、随所に美しいカットが登場する。
まるで上等な絵画の連作を見せられているような気分になる。



正直な話をすれば、そもそも僕は、面白そうと思って観たわけではない。
お付き合いで観始めて、グラフィカルなタイトルバックに惹き込まれ、絵画のようなカットの連続に見惚れているうちに、気づけば、次の投票結果に目が離せなくなっていたのだ。
そうして、インノケンティウスという新教皇が選出されたという結果にも、僕は大変納得がいっている…
