そういえば、本を読んでいない。
あらためて、そう思ったのは、Tverで、この番組を見かけたからだ。
あの本、読みました?

あの本、読みました? | テレ東・BSテレ東 7ch(公式)
鈴木保奈美が、ここまで読書家だと知らなかった僕は、彼女がMCであることに最初は驚いた。
だが、観てみれば納得だ。
幅広く深く読み込んでいるであろう彼女の、みずみずしいインプレッションは、ゲストたちをより饒舌に語らせる呼び水になっている。
本を開くよりも
で、あらためて、本を読んでいないなぁ…と実感したのだ。
ある年齢までは、幅広くとはいえないけれど、好きな作家くらいはフォローしていた。
だが、ある年齢にさしかかる頃、ビジネス書みたいなものばかり手に取るようになっていった。
3秒でコピペできるハックばかりを求める僕は、本を読むというより、マニュアルを買っているようなものだった。
本を開くよりも、やることがたくさんあるんだ。
何かあればブラウザを開き、TLやダッシュボードに埋没する。
今では、AIにプロンプトを打ち込むことも加わった。
一度開くと足抜けを許さないYouTubeのアルゴリズムも強敵だ。
ペラりとめくりながら、丹念にコンテキストを追っていくことを、せわしないニチジョーがHarry UP!と追い立てる。
デジタルデトックスを試みたとして、今度は強烈なDMNが発動しはじめる。
そんな難敵を打ち倒して、コンテキストに向き合えるほど上等な躾を、僕の集中力は受けていない。
だが、やはり本にしか存在しない世界というものもある。
それは、ひとりの男を例に取るのがわかりやすいのかもしれない。
フィリップ・マーロウという一人称
フィリップ・マーロウという男を主人公に据えた原作を映像化する試みは、すべからく失敗の道を辿った。
現実世界には、あんなにいい男はいないのさ、なんて話じゃない。
あの男は、一人称でできているのだ。
絶えず一人称が保たれていなければ、彼は、そのシェイプが保てない。
しかし、映像作品で、のべつ幕なしのナレーションは、煩わしすぎる。
唯一うまくいったのは、エリオット・グールドがフィリップ・マーロウを演じたロング・グッドバイだけかもしれない。
もっとも原作を大きく離れた設定に、それがフィリップ・マーロウと言えるのかという設問は、当然のことと言えるだろう。
何せ、エリオット・グールドには、一切のモノローグがなかったからだ。
だが、逸脱したことで、作品として成立することができた。
何より、夜の空気を吸い込めるほどありありとフィルムに収めてある。
その点では、コラテラルと双璧の僕のOne of the best.
夜の空気を買い占めた奴がいると、何十年も前に言った男がいた。
今では、夜どころか昼間の空気さえアリゴリズムというやつに買い占められている。
ペラりとめくってコンテキストを追うことは、ささやかなレジスタンスということになるのだろうか…

