野茂英雄がオールスターの先発マウンドに立ってから30年。
ドジャースは、30周年を記念して、その男の動画を公開した。
35分に及ぶ映像は、パイオニアへのリスペクトに満ちている。
On this day 30 years ago, Hideo Nomo started the 1995 All-Star Game and changed baseball. We sat down with him to talk about the impact of Nomomania.
— Los Angeles Dodgers (@Dodgers) July 11, 2025
Watch the full feature now at https://t.co/ddAWW1p3H7. pic.twitter.com/RMTy0D3kAV
竜巻 -The Story of Nomomania
近鉄をクビになった日本人のピッチャーが、MLBの、いや、当時の表現を正確に再現するならば、大リーグのオールスター戦の先発マウンドに立っている。
あの驚きは、今でも覚えている。
僕史上で言えば、ラグビー日本代表が南アフリカ代表に勝ったブライトンの奇跡と双璧をなすビッグニュースだ。
通用するはずがないだろう。
どうせ、早々にクビになる。
いや、そもそもメジャーに上がれるかどうか…
そんな大方の予想は、マウンド上で起きた竜巻に吹き飛ばされた。
そうして、キャンドルスティック・パークのマウンドに立った男は、その投球内容と独特なフォームで、あっという間にファンの心を掴んだ。
Nomomaniaと呼ばれる人種が誕生した瞬間だった。
奇しくも、そこは、唯一の先輩日本人メジャーリーガーである村上雅則が所属したサンフランシスコ・ジャイアンツのホームスタジアムだった。
僕がトルネードにワクワクした理由は、それが星飛雄馬の投球フォームを思い起こさせたからだ。
同じ背番号16を見せつけて、くるっと回転して投げるボールは、2階から落ちてくると表現された魔球のフォークボールだった。
近鉄との交渉がまとまらずに引退に追い込まれたのだと思っていた。
しかし実際は、MLBと契約できる任意引退選手という立場を得るために、意図的に交渉をまとめなかったのだと知ったのは、随分経ってからのことだった。
幼少期に身につけたトルネードを誰にもいじらせなかった強い意志を持つ男は、自分で投げたいマウンドにたどり着くためにも、その意志を曲げなかった。
その意志力こそが、最も高く評価されている。
チャンスのドアは自分では開けない。
誰かに開けてもらうしかない。
こと、契約に縛られるセカイでは。
そういう意味では、ピーター・オマリーに感謝するべきなのだろう。
そもそも、ジャッキー・ロビンソンに門戸を開いたチーム。
ドジャースにとっては、カラーはドジャーBLUEしか存在しないという伝統なのかもしれないが…
野球界だけではなく
契約問題という、選手の能力だけでは如何ともし難い障壁をこじ開けたパイオニアの作った獣道を、後に続くものが舗装道路に作り上げた。
イチロー・スズキは、破ることが困難すぎて忘れ去られていたジョージ・シスラーの記録を更新し、過去の偉人にスポットライトを浴びせた。
大谷翔平に至っては、比較対象が児童向け偉人伝全集に必ず名前を連ねる、あのベーブ・ルースだ。
野茂英雄は、野球界のみならず、その他のスポーツ選手にも多くの影響を与えたはずだ。
海外のメジャースポーツで、日本人なんかが通用するはずがないという固定観念は吹き飛んだ。
そして、日本人でもやれるという確信を背中で見せ続けた。
あらゆるスポーツで海外挑戦が広く見受けられるようになったのは、彼が竜巻を起こしてからのことだ。
そうか…
もう、あれから30年も経つのか…
久しぶりにカメラの前に登場するトルネードは、だいぶ白髪が増えて、2回りもぷっくりしているように見える。
Nomomaniaについて聞かれた彼は、こう答えた。
「ホンマ、感謝してますね…」
朴訥と、はにかみながら答える彼の笑顔は、30年前のままだった…
