メルマガで届いた良いテキストを読んでいると、全国句読点の日(National Punctuation Day)なんてものが存在していることを初めて知った。
適切に打たれたピリオドは、文を心地よい結びへと導いてくれます。
カンマは、先へ進む前に少し立ち止まるよう私たちに促します。
疑問符は好奇心の扉を開き、感嘆符は喜びの瞬間を祝福してくれます。
「全国句読点の日」が、ひとつの季節と次の季節の間に自然が設けた絶妙なタイミングの休止符である秋分の直後にやってくるのは、まさに完璧な巡り合わせです。
全国句読点の日(National Punctuation Day)
全国句読点の日(National Punctuation Day)は、毎年9月24日に制定されている、句読点の正しい使い方やその重要性を広めるための記念日です。
もともとは2004年にアメリカのジェフ・ルービン(Jeff Rubin)氏によって設立された記念日ですが、文章の読みやすさや正確な意思疎通に欠かせない「句読点(カンマ、ピリオド、テン、マルなど)」の大切さを再確認する日として、広く知られています。
句読点のなかった日本
明治時代になるまで、日本には句読点なるものが存在しなかった。
かつての日本では、教養の高い人(公家、武士、学者など)ほど句読点(「、」や「。」)を使わないのが当たり前だったとGeminiが解説してくれた。
1. 「句読点なしで読めるのが教養」というプライド
昔の知識層にとって、漢文や古典の文章を「句読点がなくてもスラスラ読めること」が教養の証でした。
そのため、文章にわざわざ句読点を打つことは、「これを打ってあげないと読めないでしょう」と相手を見下す(教養がないとみなす)無礼な行為にあたるとされていたのです。
2. もともとは「補助的なマーク」だった
日本にも古くから、文章の区切りを示す点や印(ヲコト点や区切り点)自体はありました。しかし、これらはあくまで「まだ文章を読み慣れていない子供や初学者のための学習用マーク」という扱いでした。一人前の大人が公式な文書や手紙で使うものではなかったのです。
3. 公式に導入されたのは「明治時代」から
日本で句読点のルールが正式に決まったのは、明治39年(1906年)に文部省が発表した「句角書作(くかくしょさく)の件」などがきっかけです。
西洋の言語(カンマやピリオド)を翻訳・導入するにあたり、「誰もが教科書や新聞を正しく読めるようにする(義務教育の普及)」という目的で一般化していきました。
現代にも残るその名残り
前回の回答でも少し触れましたが、この「教養のある人は句読点を使わない(相手を子ども扱いしない)」という文化は、現代のマナーとして今も色濃く残っています。
- 賞状・感謝状:目上の人や功績を称える相手に贈るため、句読点は一切使いません。
- 結婚式の招待状・年賀状:お祝いごとに「区切り(終わり)」をつけないという意味と同時に、敬意を表すために句読点を省きます。
「句読点がないと読みづらい」と感じる現代ですが、昔の人にとっては「句読点がないことこそが、相手への敬意と自身の知性の証明」だったのは非常に面白い文化の違いですね。
生活の句読点
こんな駄文を打っていても、句読点をどこにどう打つかなんて考え込むこことがある。
その有無や、位置によって、なんかニュアンスが変わるような気がするからだ。
あるいは、読解は、ソフィストケイトされた読者の皆様にお任せして、僕は全く句読点をつけない無添加の状態で出荷するべきなのかもね。
句読点の話になると、すぐにタバコを思い浮かべてしまうのは、タバコは「生活の句読点」というコピーが広く浸透してるからなんだろうね。
僕はすぐに句読点を打ちたくなって、絶滅危惧種の喫煙所を探してしまう。
そうか、教養の高い人が句読点を必要としないってのは、タバコに置き換えてもいいのかもしれないね。
あの手の人達は、きっと、喫煙者ではないだろう。
さて、区切りがついたところで、僕は一服と洒落込みますか…
