Movie & TV

「PERFECT DAYS」観た人のためのレビュー「邂逅の影」

ミニマルな暮らしを送る男の淡々とした日常を描く映画。
そこに、名優だ、巨匠だ、カンヌだと絡むとなれば、とても観る気にはなれなかった。
こちとら、流行りのミニマリストでもなければ、筋金入りの映画通でもない。
高尚なお方には理解できる映画芸術というカテゴリーのものに、下世話な僕の魂が揺さぶられたことはない。
だから、つい、うっかり、本当にうっかりとAmazon Prime Videoの再生ボタンを押してしまったのだ。
ところが、そこにあったのは、高尚な芸術なんかじゃなかった。
僕を待ち受けていたのは、ライブな深い共感だ。
深いため息つきの…

捨てられなかった2つのモノ

ミニマルに繰り返される平山という男のルーティーン。
欲のない、煩悩のない男なのだと思っていた。
しかし、姪のニコの登場により、そのフラットな畳はめくれる。

彼は、一旦、その全てを捨てたのだ。
彼は、それまでの全てを捨てて、新たに自らの生活を誂え直したのだ。
そうして、本当に必要なものだけを選び直し、今のミニマルな暮らしを作り上げている。

ニコを連れ戻すためにやってきた平山の妹 ケイコを見れば、彼がそもそも違うセカイの住人だったことがよくわかる。
黒塗りの国産車に、よく気のつく寡黙な運転手を伴って現れる彼女には、血のつながった実の兄がトイレ清掃員として生きていることなどフィクションにすら感じることもできないだろう。
だが、いつ取り壊されてもおかしくない古びたアパートの前で、抱きしめた兄の体は、リアルに温かかった。

平山は、父親との衝突で実家を飛び出すときに、それまでの一切を捨てたのだ。
生活水準も、様式も、そして人間関係さえも。
それまでの人脈をあたれば、コネをつければ、いくらでも仕事はあったはずだ。
何も、公共トイレの清掃員などにならなくても。
だが、彼は、その一切を捨てて、繋がりのない新しいセカイで、いちから新しい人生を始めた。

彼が仕事に没頭するのもよくわかる。
手持ち無沙汰になると、過去の苦味がフラッシュバックする。
新顔の不安が頭をもたげてくる。
目の前に没頭しなきゃならない作業が存在することは、救いでしかない。
そこに集中できていれば、余分なことは考えずに済む。

そうして自らの視点も大きく変わったはずだ。
大樹の根元に木の芽が生まれることに気づき、それらを育てようとする。
日々の木漏れ日の違いに気づき、なんとかそれを写真に収めようとする。

彼が家を出るときに、あらかたのものは捨ててきたはずだ。
だが、捨てられなかったものが2つある。

ひとつは、カセットテープだ。
70年代、80年代の、彼の生活に差し込むように買い集めていた音楽は、捨てることができなかった。
おそらく彼は、同様のアナログレコードのコレクションも持っていたことだろう。
しかし、それを楽しむには、それなりの機器が必要になる。
彼は、これからの生活を思い、身軽さを優先して、アナログレコードの方は、諦めをつけたんじゃないだろうか。

数冊の、捨てられない本も荷物の中に押し込んだはずだ。
ただし、本に関しては、それまでの傾向やこだわりを捨て、これまで読んでこなかった作家たちとの新しい出会いを楽しんでいるようだ。

捨てられなかった2つ目のものは、父親への感情だ。
それは、いささかも劣化することなく、まだ抱えたまんま。
そうして、折り合いをつけられない自分自身にも、折り合いをつけることができない。
もし父親が亡くなるようなことがあったら、それは新たな「わだかまり」に変化して、彼を捕らえ続けることだろう。

ただシーンを積み重ねていくこと

僕らが生きていくということは、ナニカの物語をなぞっていくわけではない。
ただただ、シーンを積み重ねていくに過ぎない。
もちろん、あなたは、好きにタグづけして編集することはできる。
不幸な物語に編集して、酒の肴に聞かせることもできる。
あるいは、立志伝に仕立て上げ、セミナーで語ることも可能だろう。

ときに不幸なシーンがあり、ときにハッピーなシーンがあり、振り返ってみれば、その意味も逆転したりする。
そして何より、僕らはキャスティングする権利がない。
いつだって、誰かさんがひょっこり現れて、ルーティーン化してるはずの日常は、全く新たなシーンへと突入してしまう。

邂逅の影

友山は、平山にとって全く予想外の登場人物だ。
平山のルーティーンに全く縁のなかったはずの人物は、フラットな日常に強い揺らぎを与える。
もう新しい刺激は求めていないのに、こうした揺らぎは勝手に現れる。

ふたりは、相手のことをよく知らないが理解できる。
同じ女に惹かれたからというわけではない。
ナニカを捨てる選択をした者同士。
多くを語らずとも、垣間見えるナニカで、わかり合える。

そうして、ふたりが影踏みで邂逅するシーンは、one of the bestだ。

二人の影を重ねても濃くはならないという友山に、「濃くなんなきゃおかしいですよ」と平山は力説する。
だって、それはそうだろう。
ふたりの男が、何か大切なものを捨てても、必死に生き抜いてきた者同士が重なっているのだ。
せめて影くらいは、濃くなって当然じゃないか…

げに、映画って本当に観ないとわからない。
映画の宣伝文句を見ていただけでは、こんな感情の揺らぎが起こるとは思っていなかった。
何を書いても蛇足だし、決してまとめることなんかできない。
ただ、もし、あなたがナニカを捨てる選択をしたことがあるのなら、観るべきなんじゃないだろうか…

TCエンタテインメント
¥10,127 (2025/01/18 01:28時点 | Amazon調べ)

コメントを残す