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ライスボウルとNFL100年の史上最高のゲーム

ついにというかやっとというか、ライスボウルがその姿を変えることになった。
発表された内容によれば、学生は姿を消し、社会人チームの優勝決定戦になるようだ。
このニュースに触れたとき、僕はNFL100周年で選出された史上最高のゲームのことを頭に思い浮かべていた。

2度目の変更

臨時理事会では、日本学生協会所属の大学チームが日本選手権に出場しないこと、ならびに、社会人チームの優勝決定戦を日本選手権とすることを決議いたしました。
併せて、社会人チームの優勝決定戦を「日本選手権 ライスボウル」という名称として、1月3日(予定)に開催することを確認いたしました。

情報源: 「アメリカンフットボール日本選手権」対戦見直しのお知らせ | 公益社団法人 日本アメリカンフットボール協会 JAPAN AMERICAN FOOTBALL ASSOCIATION

前回、学生のオールスター戦として始まったライスボウルが変更されたのは、当時よちよち歩きだった社会人チームの育成のためだったと記憶している。
学生さん、胸を貸しておあげなさいなと。
しかし、仕事が本分、早朝練習がんばります!なんてチームは、社会人になってからの方が足が速くなるほどガッツリ練習するチームにとって変わられ、UCLAのスターターだった選手がスナップを出したり受けたりするようになった。
大々的に報じられていないが、プロ契約も解禁されているようだ。

初めて社会人が学生に勝てるようになり、拮抗していた頃がいちばん面白かった。
その後も、なんとか接戦に持ち込もうとゲームを作っていたのは、KGファイターズの総合力のなせる技だったのかもしれない。
点差ほどの実力の開きは感じなかったが、学生が担架で運び出されるシーンは確実に増えていった。
このチームならなんとかしてくれるかもと期待をかけられた当のKGファイターズから白旗を上げるような発言が増えたことが、今回の見直しに拍車をかけたのだろう。
それはそうだろう。
胸を貸してと言われてやり始めたのに、うちの学生壊されてますやん!と。

学生と社会人の差と言われるが、我らがニッポンフットボール業界は鉛筆構造だ。
社会人と学生の一握りのエリートチームが先端でシノギを削っているだけで、その他のチームとの実力差は格段にある。
そして底辺はたいへん狭い。
そのエリートチームの中でも本格派の外国人をラインアップできるチームとそうでないチームの差が大きくなっているということだ。

興行的なヤマ

社会人と学生のチャンピオン対決となるゲームが消滅することで、ニッポンフットボール業界はひとつの興行的なヤマを失うことになる。

甲子園ボウルの勝者が決まった!
JAPAN X BOWLの勝者が決まった!
さあ、ライスボウルはどうなる?

という構造が、それぞれのチャンピオンが決まって終了!とひと味消えてしまうのだから。
長くなるであろうXリーグの日程も、どのように消化するのか。
対戦数、チーム数を増やすのか。
それによって生じる社会人チーム同士の格差も、またあらためて指摘されるだろう。

NFL100年の史上最高のゲーム

NFL100周年のイベントで、史上最高のゲームを選ぼう!というものがあった。
普段なら、あれこれの切り口でランキングするNFLには珍しく、シンプルにベストゲームという選考基準に、どんなゲームが選ばれるのか興味があった。
アレかな、コレかなと思いながら発表されたのは、よく知らないゲームだった。

1958 – Colts vs. GiantsNFL CHAMPIONSHIP – “THE GREATEST GAME EVER PLAYED”
“It transformed the NFL into a national passion.” – George R.R. Martin

情報源: NFL 100 | NFL.com

1958年のNFLチャンピオンシップゲームは、僕の生まれる前に行われ、AFLも存在しなかった当時はスーパーボウルも存在しなかった。
だから、文字通りこれはチャンピオンシップであり、選手権であり、シーズンを飾る最後のゲームだった。
残り7秒で同点に追いつき、史上初のオーバータイムに持ち込んだコルツがジャイアンツを打ち負かした。

NFLの人気を一気に高めたゲームだと言われているが、その表現がすごい。

「このゲームは、NFLを国民の情熱に変えた」

それを目撃した少年のひとりは、感動のあまり帰りの地下鉄の中で涙を流してしまった。
ブルックリン・ドジャースがLAに移転してココロに穴の空いた少年は、一気にフットボールに引き込まれてしまった。

それまでNFLに興味を持っていなかった人たちを一気に取り込んだ、それほどに伝説的なゲームなのだ。

ひとつのゲームで

ひとつのゲームだけで、そんなに多くの人を惹きつけることが可能なのだろうか?
その問いには、直近の事例で答えることができる。
ブレイブ・ブロッサムズのブライトンの奇跡を僕らは目にしたばかりだ。
そして、そのあとの人々の熱狂も。

昔でいえば、涙の日生球場と呼ばれるものもそれに当たるのかもしれない。
エリアは限定されるが、それは関西の学生フットボールの見方を変える特別な試合だったはずだ。

そうしたゲームを期待する。
ライスボウルでなくったっていいじゃないかと言われるかもしれない。
だが、言い訳無用の社会人のトップ同士の対決で、指折り数えるほどしかない貴重なテレビ放送の場で、そうしたゲームが生まれることを期待する。

「なんかわかんないけど、すごかったな!」

これまでフットボールに馴染みのなかった人たちが、思わずそうつぶやくような、そんなゲームを!

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