自分なりの使い方もなんら確立しないまま、新しい手帳のリリースに目が回りそうな今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしでしょう?
そもそも最初に手帳を広めた人は、どんな使い方をしてたんだろう?
そんな質問をGeminiにぶつけると、あの偉人の名前をあげる。
しかも、彼は、福沢諭吉は、ユビキタス・キャプチャーとライフログを160年以上も前の幕末に実践していたのだ。
西航手帳=ユビキタス・キャプチャー
日本で一番最初の手帳は、1862年に福沢諭吉がフランス・パリで購入して持ち帰った「西航手帳」(黒い革張りの小さなノート) とされています。
ただし、これには現在のスケジュール帳のような日付ごとの記入欄はなく、現地での見聞や物価を書き留めるためのメモ帳(ノート) でした。
実物のサイズ
- 大きさ:縦 約17cm × 横 約7cm
- 特徴:現代のスマートフォン(大型のもの)を一回り縦に長くしたような、スリムな縦長フォルムです。福沢諭吉は着物の懐(ふところ)や洋服のポケットにすっと忍ばせ、パリの街を歩きながら片手で持ってすぐにメモを取れるサイズ感 を重視していました。
結論から言うと、福沢諭吉の「西航手帳」はコモンプレイスブック(Commonplace book)と非常に近い性質を持った、ハイブリッドな情報蓄積ノートと言えます。
完全に一致するわけではありませんが、情報の扱い方や目的において多くの共通点があります。
1. コモンプレイスブックとの共通点
コモンプレイスブックとは、中世〜近世のヨーロッパで知識人が愛用した、「気になった言葉、知識、文献の引用、統計データなどを1冊のノートにジャンルを問わず書き留め、自分の知識ベースにする」というノート術です。
西航手帳の中身はまさにこれで、以下のようなデータが脈絡なく次々に書き込まれていました。
- 各国の基礎データ:人口、陸海軍の兵力、租税の仕組み
- インフラ・経済の数字:蒸気船や機関車の運賃、郵便料金、各国の貨幣の換算表
- 現地の文化や制度:病院、学区、高級クラブの会員数
日記のように「その日何をしたか」を追うのではなく、「後から参照して活用するための客観的な情報・知識のコレクション」として使われていた点は、まさにコモンプレイスブックそのものです。
2. フィールドノート(野生の調査日記)としての側面
一方で、コモンプレイスブックが「書斎や図書館で本を読みながら知識を蓄積する」という机上のノート術だったのに対し、西航手帳は現地を歩き回って見聞きした生データをその場で書き留める「フィールドノート(調査手帳)」の性質が強かったという違いがあります。
福沢諭吉はパリで購入したこの手帳を常に懐(ふところ)に忍ばせ、鉛筆、万年筆、時には筆を使って、歩きながらガシガシとメモを取っていました。
まさに「ユビキタス・キャプチャー(Ubiquitous Capture)」そのものです。
「いつでも、どこでも、頭に浮かんだことや目の前の現象をすべて1冊のノートに記録する」という現代のライフハックの思想を、福沢諭吉は160年以上前の幕末に体現していました。
西航手帳がユビキタス・キャプチャーの原則にどれほど合致していたか、3つのポイントで整理できます。
1. 「1冊に一元化する」の徹底
ユビキタス・キャプチャーの鉄則は、情報の種類(日記、タスク、アイデア、データ)ごとにノートを分けないことです。
福沢諭吉も、西洋の政治システムという堅い話から、ホテルの宿泊費、汽車の運賃、現地で見かけた珍しい日用品のスケッチまで、すべてこの縦長の手帳1冊にジャンルレスで放り込んでいました。
2. 「常に携帯し、その場で書く」の機動性
「ユビキタス(偏在する=どこにでもある・いつでも手元にある)」の名の通り、福沢はパリの街を歩くときも、船や汽車に乗っているときも、常にこの手帳を懐に忍ばせていました。
歩きながら、あるいは立ち話をしながら、「忘れないうちにその場でキャプチャー(捕捉)する」ために、縦17cm×横7cmという片手で持てるサイズが完璧に機能していたのです。
3. 「脳のメモリを解放し、後で処理する」
ユビキタス・キャプチャーの最大の目的は、記憶をノートに預けて脳のストレスを減らすことです。
福沢諭吉は、初めて見る西洋の膨大な情報に圧倒されそうになりながらも、とにかく手帳にすべてを書き留めていきました。そして帰国後、この「キャプチャーされた生データ」を整理・構築したことで、あの歴史的名著『西洋事情』が生まれました。
現代の私たちがスマホのメモアプリやロルバーン、モレスキンでやっていることを、福沢諭吉はパリで購入した黒革の手帳と鉛筆で、日本で最初に行ったと言えます。
もし、この時代に測量野帳が存在していたなら、福沢諭吉は、バリバリのヤチョラーになっていたのではないだろうか。
そして、あわせて使ったいたのが、コレまた最先端のツール、鉛筆だ。
日本最古の鉛筆の実用的な利用
福沢諭吉の「西航手帳」を語る上で、「鉛筆(えんぴつ)」は欠かせない非常に重要なアイテムです。
実は、福沢諭吉がこの手帳にメモを取るために現地で鉛筆を多用したこと、そして帰国後にそれを日本に広めたことは、日本の筆記具の歴史における一大転換点となりました。
1. なぜ「鉛筆」だったのか?(機動性の秘密)
当時、日本人の普段の筆記具は「毛筆と墨」でした。しかし、ヨーロッパを移動しながら、見聞きしたものをその場でキャプチャーするためには、墨をすったり矢立(携帯用の筆墨入れ)を取り出したりする暇はありません。
そこで大活躍したのが、インクや水を必要とせず、胸ポケットから出してすぐに書ける「鉛筆」でした。
西航手帳のページには、走り書きされた鉛筆の跡が多数残っており、まさに現代の私たちがポケットからボールペンを取り出してメモを取るのと同じ感覚で、鉛筆が使われていたことが分かります。
2. 福沢諭吉は「鉛筆の普及功労者」
日本に初めて鉛筆が入ってきたのは江戸時代初期で、徳川家康や伊達政宗が遺品として遺していますが、これらはあくまで海外からの珍しい「献上品」であり、一般には全く普及していませんでした。
日本人が鉛筆を「実用的な筆記具」として本格的に使い、その便利さを世に知らしめた最初の人物の一人が福沢諭吉です。
福沢は帰国後の1866年に発表した著書『西洋事情』の中で、西洋の便利な文房具として「鉛筆(インピツ)」をイラスト付きで詳しく紹介しました。これがきっかけとなり、明治の文明開化とともに日本中で鉛筆の需要が爆発的に高まっていくことになります。
福沢諭吉は、コレとは別に日記も書いているとGeminiが教えてくれた。
しかし、それは、日記というよりプラクティカルなライフログのようだ。
西航記=ライフログ
福沢諭吉は手帳とは別に、『西航記(さいこうき)』という極めて緻密な「日記(航海日記)」を同時に書いていました。
つまり彼は、現代のビジネスパーソンやブロガーが実践しているような、「現場では手帳に生データをメモ(キャプチャー)し、宿舎に帰ってから日記(ブログや清書ノート)に時系列でまとめる」という完璧なノートの2冊使い(併用) を行っていました。
手帳と日記がどのように使い分けられていたのか、その見事な役割分担は以下の通りです。
1. 2冊の完璧な役割分担
- 西航手帳(情報キャプチャー用)
- 役割:街を歩きながら、その場で見た数字、物価、単語などを衝動的に書き留めるための「フィールドノート」です。
- 中身:ジャンル不問のデータ、殴り書きのスケッチなど。
- 西航記(時系列の日記・公認記録用)
- 役割:1日の終わりに、その日の行動、日付、場所、移動のプロセスを正しく記録する「時系列の日記」です。
- 中身:何月何日にどこへ行ったか、公式な面会相手、移動した距離(マイル)や船の現在位置(経度・緯度)など。
2. 福沢諭吉の「理系的な」日記スタイル
福沢諭吉の日記『西航記』は、私たちがイメージする「今日は楽しかった」「料理が美味しかった」というような感情的な日記ではありません。
「本日は船が何カイリ進んだ。現在の位置は経度何度何分、緯度何度何分である」といった、数字に基づいて客観的な事実を徹底的に記録する、極めてロジカルな日記 でした。
福沢諭吉がやっていたことは、単なる思い出作りとしての「日記」ではなく、「自分の行動と、それによって得た知見をすべて資産化するためのライフログ」でした。
感情を排し「行動と事実」に特化する
一般的な日記は「嬉しかった」「疲れた」という主観的な感情が中心になりがちです。しかし、福沢のライフログは違いました。
- 記録の対象:何時に出発し、何マイル移動し、誰と会い、何を食べ、いくら支払ったか。
- 目的:後から見返したときに、「当時の状況を100%正確に再現・検証できること」を最優先していました。
日記に書かれていた「ライフログ」の例
ちなみに、図書館などで全集を開くと、以下のような極めて実用的(プラクティカル)な記述がずらりと並んでいるのを見ることができます。
- 「ロンドンのタイムズ紙の発行所を見学した。印刷機は12台あり、1分間に2,600枚刷る。毎日平均150万部を刷り出している。蒸気機関なので、1か所に2人いるだけである……」
- 「イギリスには政党というものがあり、保守党と自由党という徒党のようなものが政権を争っている。しかし、あいつら(両党の党首たち)は同じテーブルで酒を飲んで飯を食っている。少しもわからない(笑)」
義塾創設へ
そうして彼は書き記し続けてきたものを、見事に活用し、「西洋事情」という大ベストセラーを生み出した。
生み出したものは、それだけではない。
イギリスで視察したパブリック・スクールの教育制度が、慶應義塾創設の発端となった。
私塾(個人のもの)」ではなく「義塾(みんなで維持する公共のもの)」にする
義もない僕は
手帳やら日記やらを、どう使おうか迷っている僕には、Geminiが提示してくれた偉大な先人のケースは刺激的だった。
僕も同じようなことはやってはいるのだが、いかんせん内容のクオリティが違いすぎるんだろうね。
もっとも、一番違うのは、その目線の高さなんだろうけど…
最近、日記には事実だけを記録するというやり方をよく耳にするようになった。
それをマネして日記を始めてみるべきか…
ただ、要約されたら消えてしまうような揮発性のナニカばっかり書いてる僕に、書き記すべきプラクティカルなサムシングがあるのかどうかは、甚だ怪しいもんだ。
まあ、義のない僕としては、私として気楽にやってくか…
