東京2020 オリンピックも無事に終わり、今度はパラリンピックの順番がやってきた。
そうして、あんまり認知していなかったパラリンピックのシンボルマークをあらためて見て思う。
「オリンピックとパラリンピックのシンボルマークを統一してはいけないの?」
さらに言えば
「ひとつの大会に統合してはいけないの?」
きっかけはピクトグラムさん
きっかけはピクトグラムさんだった。
開会式のMVPを勝ち取った彼らのおかげでピクトグラムに目が向き、さらにはオリンピックにおけるデザインというものに興味が向くことになった。
情報源: 東京2020パラリンピックスポーツピクトグラムの発表について
パラリンピックシンボル
そういうデザイン的な目線で見ると、パラリンピックシンボルってもうひとつおさまりが悪いような気がする。
1988年ソウルパラリンピックで初めてお披露目されて、わずか30年の間にもう4代目のロゴに変更されているところをみると、なかなかしっくりいってないように思える。
もちろん、それがあらわそうとしている意義や心意気は尊重する。
しかし、もうちょっとしっくりくるデザインはないものかと率直に思う。
このシンボルマークは「スリーアギトス」と呼ばれています。「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しています。赤・青・緑の三色は、世界の国旗で最も多く使用されている色ということで選ばれました。
情報源: 日本パラリンピック委員会
オリンピックシンボルが強すぎるのか
ひとえにオリンピックシンボルが完成され、浸透しすぎていることが原因なのかもしれない。
この強いロゴを隣に置いて見劣りしないものなんて、そうやすやすとはデザインできないのだろうね。
そういう意味では、クーベルタン男爵はデザイナーとしても天才だったということなのか。
オリンピックとパラリンピックのシンボルマークを統一してはいけないの?
で、ふと思う。
オリンピックとパラリンピックのシンボルマークを分ける意味があるのか?
競技種目が違うだけのことだよね。
かたや車椅子を使うラグビーがあり、かたや車椅子を使わないラグビーがある。
それは、どちらの競技が上というような優劣を競うようなものではない。
ただただ、純粋に別の競技種目なのだ。
そのどちらもオリンピックなんじゃないの?
であれば、シンプルにオリンピック・リングのシンボルマークに統合すればいいんじゃないだろうか?
そうしてオリンピアンとパラリンピアンを分ける意味もないはずだ。
どちらもオリンピアン。
ただ、競技種目が違うだけのこと。
もっと言えば、開催を分ける必要があるのか?
さまざまな競技を同時に開催するのがオリンピック。
陸上大会と水泳大会とが同時に行われる。
では、車椅子を使うラグビーと、車椅子を使わないラグビーが同時に開催されてもいいんじゃないだろうか?
車椅子が必要な人と、そうでない人。
そうした人たちが、同じように開会式にのぞみ、同じように閉会式をむかえる。
そうした光景こそが、オリンピックのシンボルにふさわしい。
平等だ権利だと騒ぎたいわけじゃない。
世の中に区別はあって然るべきものだと僕は思う。
ただ純粋に、オリンピアンとパラリンピアンを分け隔てるもの、それが僕にはわからないだけなのだ…