その人が
眠むっているところを見かけたら
どうか やさしくしてほしい
その人は ボクらの大切な先生だから
この序文が、この物語の「あたたかな」温度と「こまやかさ」を端的に物語っている。
「なぎさホテル」の人々との出会いによって再生し、新しい伴侶とともに始まった生活は、わずか二百日で死別というカタチで終わる。
ボロボロになった主人公と、誰からも愛されるチャーミングさをもつ先生。
この二人のロードムービーのような物語だ。
二人は「旅打ち」という競輪場を巡るたびに出る。
二人が巡る、寂れた街の人気のない路地裏と豊かな小島の海辺の時間。
そうしたところに旅特有の寂寥感と時間の流れが感じられ、どこか旅に出たくなってくる。
何故か、陽が落ちきってしまう前の電気をつけるかつけないかくらいの時間帯の空が強烈に思い出された。
もちろん、これから人波が激しくなるであろう都会の空ではなく、より寂しくなっていくどこか田舎の空のほうだが。
ギャンブルメインの旅だから、日程や内容は粗暴だ。
しかし、取り扱い注意のワレモノのような二人が見せる内面は、とても繊細だ。
そして、旅先で出会う人々も。
登場人物は、みな優しい人ばかりだ。
そして、それが過ぎて、 ただどうしたものかと気を揉みながら、主人公に本当の助言がなかなか出来ずにいる。
先生は、主人公に小説を書かせるべきだと思いながら、そのことを上手く伝えられずにいる。
見かねた歌手の「Iさん」がそれとなく書かせようとするが、それすら強い物言いではない。
もとより「Kさん」はうまく伝えられないので、先生を紹介することでナニカを伝えたいのだろう。
先生は、ちっとも先生らしくはない。
「好きにやればいいんですよ。なるようにしかなりませんから。」等と言い、ああしろこうしろは一切言わない。
この言葉だって相当に酔った場面でやっと出た言葉で、普段は謝ってばっかりだ。
なにしろ、場所や状況にかかわらず、突然寝てしまうというナルコレプシーという奇病の持ち主。
付き合うのは、相当に骨が折れるはずだが、誰も文句は言わない。
その病気すらもチャームポイントとして愛されているのだから相当なものだ。
先生は主人公に言う。
「サブロー君、人は病気や事故で亡くなるんじゃないそうです。人は寿命で亡くなるそうです。」
コレもずーっと言いたかったのだろうが、言えずにいた言葉の一つだろう。
「だから自分を責めるな」とは、上手く続けられなかったが。
本当に誰かを心配している人は黙って見ている。
伝えたい言葉や思いはアレコレあるのだが、そのきっかけが上手く掴めずにいる。
だから、黙ってそばにいる。
人の生来の孤独さと、それでもあきらめきれない人とのつながり。
閉ざしても繋がってしまう人と縁。
そして、静かに人を想う。
こうしたことを深く考えさせられる。
まして、アレコレに辟易して、いろんなものを閉ざしつつある自分には。
読後、これまで経験したことのない穏やかなあたたかさを感じた。
このあたたかさが、先生と主人公が共有していたものと同じであればいいなあ。。。
「哲也」では主人公は困難を克服する強い人物に描かれているが、原案の竹内一郎は「阿佐田さんに申し訳ない。実際はむしろ反対だったと思う」。突然眠り出す病を抱え、社会の外側で生きる姿に「弱さを肯定してくれていると感じる。この人にはまると中毒になる」と話す。