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アンプラグド・ブログ ALOG.TOKYO

民謡のようなブログ

いったい自分はブログに何を書いているんだろう?
ふと、そんなことを思うことがある。
ガリガリのレビューを書いてるわけでもない。
誰かの役に立つハックを書いているわけでもない。
なんたら論を撒き散らして炎上を図っているわけでもない。
まして、日記ですらない。

そんなとき目についた言葉に、深く共感することになった。
それは、ほぼ日のひとつの記事。
糸井重里とクレイジーケンバンドの横山剣の対談だ。

民謡に似ている

それは何に似てるんだろう、と思ったんですけど、民謡ですよ。
民謡って、みんなの見えてる山のことを歌う。
浮世絵も、近くのタバコ屋の娘を描く。
歌いたい、描きたくてしょうがないものって超ローカルの民謡なんじゃないかなとぼくは思います。
そこには普遍化したいなんていう欲はないです。

情報源: 第10回 わかりやすくしなかった。 | 呼ばれているぜ! | ほぼ日刊イトイ新聞

僕のローカル世界で目についたもの、何かを感じたもの。
そうしたモノ、コトについて、僕は何かを書いている。

Change the worldの野望もないし、なんとかPV数を増やすためにGoogleにおべっかを使う気にもなれない。
ごく狭い範囲のことを書いて、ごく限られた人の目に留まる。

さようであれば、僕もWordPressを使って民謡を歌っているということになる。
調子っ外れな歌だけど、こぶしなら効かせられるぜ!という具合に。

日記が原点

同じくほぼ日で、もうひとつ、こんな記事を見つけた。
それは、昨今のブログに日記なんか書いちゃいけませんという風潮と真逆のものだ。

言葉による表現の、ミニマムなかたち。
その日に起こったことを書き記す。
それって、ものを書くことの原点だと思うんです。

情報源: 第4回 2020年の日記特集。 | 特集 編集とは何か。10 「新潮」編集長 矢野優さん | 矢野優 | ほぼ日刊イトイ新聞

ブログを書くこととモノを書くことはイコールだとは思わない。
そもそも文章のあるブログなんて、その存在は多くない。

大抵のブログは、文字通り「キーワード」とその付属のテキストでなりたっている。
それらが広告と目次のあいだに、流し込まれているだけだ。
誰かの役に立ちますという記事は、折込チラシ程度には役に立っているのだろう。

長くて濃いプロフィールに反して、淡白な文章には、その人の匂いがまるでしない。
そんなブログを書いていたって、文章力が向上するわけもない。

だから、僕のブログも読み返してみるとさっぱりだ。
何年か書いているはずなのに、あいかわらずの音痴な文章はさざ波すら起こさない。

そもそも僕はエッセイのような、日記のようなものを読むのが好きだったんだよなと古い記憶が蘇ってくる。
そうして日記というものは、いざ書こうとするとまったく書くことができない。

ふたつの記事は、これからも自由にブログを書いていくための灯台のようなものだ。

自分のローカル世界で感じたこと考えたことを、読みたがっている自分のために書いていけばいい。
いつかそれが、ミニマルな日記のようなものに昇華できる日が来るかもしれない。
この先も、調子っ外れな民謡を歌い続けていけばいいんだよ。

どんなブログを書いてるの?と言われたら
「民謡のようなブログ」
と答えればいいのだから…

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