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「シドニアの騎士 あいつむぐほし」観た人のためのレビュー「胞衣(エナ)をめくれば」

シドニアの騎士 あいつむぐほしで、足掛け7年のシリーズが堂々の完結を迎えた。
ポップなキャラクターとコミカルなシーンに、騙されてはいけない。
ひとたび胞衣(エナ)をめくれば、壮大なSF世界観と、重厚なテーマが露出する。

壮大なSF世界観

奇居子(ガウナ)と呼ばれる対話不能の宇宙生命体に地球を破壊され、人類は太陽系を脱出し、新天地を求める旅に出た。
それが、1000年も前のこと。
小惑星を船体とした巨大な宇宙船はシドニアと呼ばれる。

100年ぶりに出現した奇居子(ガウナ)と戦いを繰り広げる中、人類はようやく新天地「惑星セブン」を発見する。

壮大な時間の流れは、ファウンデーションを彷彿とさせる。
文化が地続きである点も。

文字通りシドニアの名を持つ小惑星が使われたからなのか、これとヘイグス粒子以外は、全て日本語表記で漢字が重用されている。
船員たちも、正しい日本語を用いており、その文化に関しては劣化していないようだ。

しかし、船員は遺伝子改造により光合成が可能であり、もはや大量の食料を必要としない体になっている。
さらに、性別を選択することも単為生殖も可能な中性も存在する。
クローンにいたっては、自分たちでロールアウトと公言するように当たり前の存在だ。

一部の人間に許されている不老不死の技術も確立され、小林艦長は、もう700年以上生きている。

小林艦長と斎藤ヒロキ

1000年続くシドニア世界のうち、実に7世紀もの間、艦長の任を果たす小林。
船員にとっては雲の上と言える存在は、公にはマスクをつけ素顔を晒すことはない。
不死の船員会のメンバーを抹殺したのは、権力が欲しかったからではない。
自らの判断を遂行するのに邪魔なものを排除しただけなのだ。

そうして彼女は、その重い責任をどっかりと背負い込んで、若い操縦士たちに死んでこいと命令を出し続ける。
そこに一切の躊躇も動揺も見ることはできない。

しかし。
しかし、本作で、ようやく小林は、その辛い心情を吐露する。
7世紀もの間、彼女の命令の下に失った命はどれほどあっただろう。

それを打ち明ける相手は、かつての憧れの存在だった斎藤ヒロキのクローンである谷風 長道。
斎藤ヒロキが不死を拒み、姿を消すまで、彼と彼女の間には、どれほどのドラマがあっただろう。
小林が本気になれば、潜伏する斎藤ヒロキを捜索することも可能だったはずだが…

そうして時を経て、目の前にあらわれた谷風 長道に彼女は、どんな感情を抱いたのだろう。
「惑星セブン」に入植することを選んだ彼女は、ついに艦長の任を解かれたはずだ。
彼女の歌声は、まだ物哀しいままだろうか…

ヒ山ララァと落合

謎多き二人の過去は、今回全て明るみになった。
それは悲しい物語として。

融合個体となった落合が、本当の最期を迎える時、口をついて出たのは「ララァ」だった。
そして頭をよぎったのは、ヒ山ララァとの悲しい思い出だった。

彼女を生命維持装置なしでは生存させることができない自分の非力さ。
そして、人類の脆弱さが、彼を奇居子(ガウナ)研究に邁進させることになったのだろう。
人類が存続していくために、最適なカタチを彼なりに模索していたのではないだろうか。
そうして完全な生命体になることができたなら、脆弱な生き物特有の悲しい思いをすることはなくなる。
6世紀ものあいだ、それを追求し続けた原動力は、ララァだったのか…

ヒ山さんが、どうして「ララァ」と呼ばれると激怒するのかは、今回よくわかった。
そう呼んでいいのは、大切な人に限られるからだ。
唯一、それを許せる相手は、命の恩人は、もはや人ではなくなっている。

しかし、どのような生き物になっていようと、その根底にある思いを彼女は信じている。
だから、あきらめたくはなかったのだ。

彼女は今も生きている。
落合が、彼女のために用意してくれた生命維持装置につつまれて。
彼女は、この後も不死の時間を重ねるのだろうか。
それは、ある意味で、まだ落合が生きているとも言えるだろう。
種という概念からも解放されて、肉体からも解放されて、落合の魂は、いま彼女とともにある。

ファーストコンタクト

結局のところ、奇居子(ガウナ)が何者なのかはわからない。

奇居子(ガウナ)が人類だけを目の敵にするのか、あるいは、他の生命体も対象にしているのか。
どうして対話しないのか。
どうして攻撃するのか。

しかしこれも、奇居子(ガウナ)から見れば、全く逆の表現もできる。

どうして対話するのか。
どうして攻撃してはいけないのか。

そもそも対話や攻撃の概念が、一致しているのか?

奇居子(ガウナ)が人類を捕食して、情報をとりいれようとしたことはコミュニケーションとは呼べないのか?

存在を認知しているからこそ、何らかのアクションを取る。
であれば、これもひとつのコミュニケーションとは呼べないのか。

そもそも、人類が何者かだってわかってはいない。
我々が、かつてこの地球上で、未知の人種に遭遇した時、どんな行動をとってきただろうか?
現在でも、未知の生き物に出会したとき、どんなアクションを取るだろう?

今この瞬間でも、地球上で、人類が人類に取るべき行動として理解できない振る舞いを取り続ける国家は存在する。
東トルキスタンの人にとっては、奇居子(ガウナ)よりたちの悪い存在と言えるだろう。

愛ってさ…

遺伝子改造を施されたクローン人間と融合個体の特別な感情。
見せられたのは、愛と呼ぶしかないものだった。

クローンは人間といえるのか。
では、不老不死が施された人間は?
そもそも、愛とは人間の間でのみ存在しうるものなのか?

相手によって性別を選択する中性や、それを受け入れために自らの体を変える行動。
700年の時を経ても、人類に損害を与える存在になったとしても、消せぬ思い。

そうしたものを見せられても、いまだに僕らは、愛の謎なんて解くことはできやしない。
どうして、生き物が自らを存続させようとし続けるのかについても…

Anyway、ま、そんなことはどうでもいい。
よかったね、つむぎ。
融合個体のままでも可愛かった。
けれど、自分の思う姿になれて、しかも受け入れてもらえて!
これ以上に幸せなことはないだろうなぁ…

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