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MAD MENとスーダラ節とコカ・コーラ

Amazonプライムに降臨中のMAD MEN。
7シーズンもの長さに、手を出すのはやめておこうと思っていたのに、うっかりクリックしたのが運の尽き。
8年にも及んだドン・ドレイパーの長い旅に付き合わされることになった。
濃密で苦味の強い作品に溺れてしまうと、何か総括して吐き出さないと前へ進めない。
そうして、これはスーダラ節なのだ。
そう腑に落ちて、書き出している。

https://alog4.tumblr.com/post/627808285468344320/timeless-cool-elisabeth-moss-and-jon-hamm

ドン・ドレイパー

ジョン・ハム演じるドン・ドレイパーは魅力的な人物だ。
なぜ俳優ではないのかと称賛されるルックス。
天才的な閃きから生まれる魅力的な広告と、そのプレゼンテーション。
能力、ルックス、そして金。
これらを持ち合わせた彼に女たちが群がらないわけがない。

そして、彼の声はとりわけ魅力的だ。
NFLファンならご存知のように、オール・オア・ナッシングの控えめでドラマチックなナレーションは彼によるものだ。
この企画のプレゼンテーションを受けたクライアントが、ナレーションはドン・ドレイパー自身がやることを条件に契約したのではないかと妄想もしてみる。

わかっちゃいるけどやめられない

Madison Avenueの広告マンが主要キャストとなるドラマでは、登場人物たちが文字通りMADだ。
そこには、彼らばかりではなく彼女たちも含まれる。

まだ敗戦にバージンだったころの合衆国の人々の持つ無垢なエゴ、そしてコントロールする気のさらさらない強すぎる欲求。
そうしたものを見せ続けられる僕は、たまったものじゃない。
和食育ちの僕の軟弱なイチョウでは消化できない濃厚さだ。

広告業の実態も知らず、社会風俗の歴史にも明るくない僕だから、あれがどれほどの脚色と時代的な事実を盛り込んでいるのかは判別できない。
しかし、出社した瞬間から1杯目に手をつけ、氷を運ぶのは秘書の重要な仕事。
ハラスメントどころか完璧な侮辱としか言えない言動がジョークとして扱われ、クライアントは契約を人質にゲスな要求をはばかりなく突きつけ、広告代理店はメディアを抑えていることを盾に脅迫すらいとわない。

そして、ドンだ。
手が震えるほど酒を飲み続け、プレゼンテーションに納得しないクライアントには激昂して侮辱する。
プイッと数週間もの間、姿を眩ましても何事もなく復帰する。

僕と彼との共通点は2つだけある。
ひとつは男であること。
そして、2つめは同じような過ちを繰り返してしまうこと。
もちろん、男としてずいぶんランクの下がる僕が犯す過ちは、あのような色っぽいものではないが。
過ちを犯すたび、自分と誰かさんを手ひどく傷つける。
しかし、それでもまた彼は過ちを犯す。
一ミリも前進などしていない。
ただ、回転木馬に座り込んでいるだけだ。

同じ時代、極東のニッポンには、我らが植木等がいた。
随分とキャラクターも明度も違う存在だが、彼は高らかにこう歌い上げた。

わかっちゃいるけどやめられない

そんな真面目な性格であるから「スーダラ節」の楽譜をはじめて渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩んだ。父親に相談すると「どんな歌なんだ?」というので植木はスーダラ節を歌ってみた。激しい正義感の持ち主の父の前で歌ったあまりにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動した。唖然とする等が理由を尋ねると、「この歌詞は我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい!」と諭され、植木は歌うことを決意した。このエピソードは、植木が歌手として生きていく上で生涯の支えになったという。

情報源: 植木等 – Wikipedia

https://alog4.tumblr.com/post/627620445807575040/in-life-we-often-have-to-do-things-that-just-are

It’s the real thing

それでも、彼は前進する。
別人の人生を奪ってまでやり直し、誰かの命を奪ってまでやり直し、へばりついた暗い過去に引きずり戻されながらも前進をやめない。
でも、そうして進み続けるこの先に何を求めるのか。
足を止めた彼が立っていたのは、奇しくも大陸の端っこだ。
アウトサイドに進むことができなくなった彼が向かったのはインサイド。
自分自身だ。

ディックと名付けられた男という存在から逃げ続けた彼は、ようやくその男に向き合うことができたのだろうか。
ディックの人生もドンの人生も、唾棄すべきものでもフィクションでもない。
彼という男のリアルな人生なのだ。

そうしてStart over。
彼はまた、やり直す。
生み出されたものは歴史に残る名作となった。

わかっちゃいるけどやめられないを繰り返し、その度にStart over。
そうしてMove forwardの先にIt’s the real thingをつかみとる姿に希望が持てる。
いや、これは羨望だな。
そうしたことができたのも、彼ほどの能力があったからなのだと、大人のベテランである僕にはよくわかる。
彼と共通点が2つしかない僕には、Start overの道筋などいっこうに見えない。
僕のバッグは、本当に空っぽだ。
そしてそれが僕にとってのreal thingなのだ。

Anyway、最後は僕の好きなシーンで締めくくろう!
我らがペギー・オルセンがドンを気取ってあのマッキャンに乗り込むシーンで。

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