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NFL百年の走馬燈(6)ルールの進化「100年の歴史」

想像してみください。

クォーターバックは、スクリメージ・ラインから少なくとも5ヤード以上、下がらなければフォワードパスを投げることができません。
オフェンスは、サイドラインからわずか1ヤードも離れていないところに置かれたボールからプレーを開始しなければならないこともあります。
一連の攻撃中にパスの失敗が複数回になるとペナルティを科されます。
プレイヤーの交代は禁止されています。
サイドラインからコーチの指示を受けることは許可されていません。
両チームのプレイヤーは、対戦相手のフェイスマスクを自由につかみ放題です。

そんなNFLを、あなたは想像できますか。

NFLルールの100年の進化を紐解く公式サイトの序文だ。

Imagine the NFL if the rules of play had never changed:

情報源: Evolution of the NFL Rules | NFL Football Operations

もしもルールが進化していなかったら、NFLに現在の隆盛がもたらされたはずがない。
現在のNFLのルールは、意図と偶発的な要素のマリアージュによって醸成されてきたものだ。
100年かけて進化してきたルールの歴史をNFLが動画で解説。
じっくりとご覧あれ。

意図したパッシングモア

アメリカンフットボールというスポーツの独自の魅力のひとつにロングパスがある。
鮮やかなロングパスに逆転劇も伴えば、最高のドラマが出来上がる。
フォワードパスを自由化させるという点に重きをおいたルール改正の歴史には、興行として成功させようというリーグの強い意志が感じられる。

そして、ルール改正のきっかけは実際のゲームだ。
そう、現在もそうであるように。

スクリメージ・ラインから少なくとも5ヤード以上、下がらなければフォワードパスを投げることができないというルールがあったにもかかわらず、それを守らずに投じられたパスが勝利を決定づけてしまった。
それは1932年のNFLチャンピオンシップゲームだった。
当然のように抗議と論議が巻き起こり、このルールは削除。
スクリメージ・ラインより後ろであれば、どこからでもフォワードパスを投げることが可能になった。

また、ゴールラインの背後、エンドゾーンの中から投じられたフォワードパスが失敗するとセイフティーとして2点を失うというルールもあった。
またしても、1945年のNFLチャンピオンシップゲームで事件は起こった。
エンドゾーンから投じられたパスがゴールポストに当たり失敗。
その2点が決勝点として勝負を分けた。
すぐさまルールは見直され、ただのパス不成功となったが、それでもまだロス・オブ・ダウンのおまけはついたままだった。

1973年、アイザック・カーチスという物凄いルーキーWRがリーグを席巻するようになると、プレイオフで対戦した名将ドン・シュラは、バンプなどという生やさしいものではなく、ダウンフィールド上でコンタクトし続けた。
その結果、彼は、わずか9ヤードのキャッチにとどまった。
以後、アイザック・カーチス・ルールと呼ばれるものが作られ、レシーバーへのコンタクトは制限されるようになる。

そうしてゲームは、パッシングモアになっていく。
1977年には、1試合あたり141.9ヤードに過ぎなかったパスによる獲得ヤードが、1981年には204.4ヤードになった。
ざっくり1.5倍になったということだ。
そしてエア・コリエルが我らがTEケレン・ウィンスローと革命を起こし、ビル・ウォルシュがのちにウェストコースト・オフェンスと呼ばれるパッシング攻撃を作り上げた。
NFLが長い時間をかけて作り上げた土壌に、ようやく華やかな花々が咲き誇る時代を迎えることができたのだ。

そう、NFLは自らの意図どおり、華やかな人気のあるリーグに成長した。
しかし、意図していなかったものもある。

意図しなかった選手交代の自由

フットボールの特徴のひとつが自由な選手交代にある。
これによって選手は、攻守それぞれの分業制。
もっというとシチュエーションごとの専門職として存在している。
サードダウンバックもいて、ショートヤードをねじ込むバックスもいて、インサイドレシーバーとアウトサイドレーシーバーは別物で、ニッケルバックにダイムバック、そうしてラッシュバッカーだ。
キック蹴るだけ、パント蹴るだけの選手もおり、なんだったらキックオフ用のキッカーとフィールドゴールを狙うキッカーも別れていたり。
リターナーも、そのそれぞれに存在する。
そういえば、FBも希少価値のある職人のような存在になってしまった。

もともとフットボールに交代自由なルールが存在していたかといえば、そうではない。
そもそも選手交代は厳しく制限されており、一度出場したら攻撃も守備も出ずっぱり、サイドラインのコーチの指示など受ける暇もなかったのだ。
一昔前のラグビー選手と変わらない。
では、パス攻撃のようにNFLが意図してルール改正したのかといえば、これも違う。
この交代自由のルールは、止むに止まれぬ事情によってやむを得ず生まれたもの。
その止むに止まれぬ事情とは第二次世界大戦だ。

健康な若者の多くは、軍隊にドラフトされてしまった。
大戦時の国家による招集に制限などあろうはずがない。
こうして、多くのチームは人手不足に陥って、メンバーも流動的だった。
スティーラーズとイーグルスが「スティーグルス」として合併チームで活動したり、ラムズのように活動休止に追い込まれたチームもあった。
その非常事態を乗り越えるための苦肉の策として、交代自由というルールが設けられたのだ。
戦争終了後、NFLはまた制限を設けようとしたが、人気を博したため、1949年に正式なルールとして定着することとなった。
図らずも戦争のおかげで、今日のスペシャリスト同士のハイレベルな戦いを僕らは楽しめるようになったのだ。

モダンテクノロジーの採用

フットボールの特徴のひとつにプロテクターやヘルメットの存在がある。
1943年にヘルメットの着用が義務付けられ、1948年に、それはプラスチック製のものになった。
確か、第二次世界大戦中に軍にヘルメットを供給していたRiddellが、ここでNFLにグッと入り込んだんじゃなかったかな。
このとき、フェイスマスクというか、フェイスガードは存在しなかった。
1953年、ブラウンズの選手が顔を15針も縫う大怪我をした。
彼のために、ポール・ブラウンがプラスチックバーのフェイスガードを考案したのが始まりだ。
そういえば、以前のルールではフェイスマスクに着用義務はなかったはずだが、現在はどうなんだろう?
もっとも義務がないからと言ってつけない命知らずが存在するわけがない。

ポール・ブラウンは、NFL100年の歴史の中で、もっとも偉大なゲームチェンジャーに選出されている。
ブラウンズというチーム名は、彼に因んで名付けられている。

Head Coach
PAUL BROWN
“Paul Brown in the history of pro football was one of its greatest innovators.” – Paul Warfield

情報源: NFL 100 | NFL.com

1994年に復活して今では当たり前になっている選手のヘルメットに受信機を仕込んだ最初の人だ。
ただ、当時は警察無線やタクシー無線を拾ってしまい、それなりの苦労があったようだ。

こうしてそのときの最新技術を節操なしに取り入れていくのがNFLの優れたところ。
今では、あらゆるスポーツで当たり前に取り入れられているビデオによるインスタント・リプレイを最初に始めたのは1986年のことだった。
ちなみにチャレンジの成功率がもっとも高いのは、47.8%のカウボーイズらしい。

そういえば、ゲータレード的なスポーツドリンクも、アンダーアーマー的なアノ素材もフットボールがいち早く取り入れていたよね。

このところのルール改正は、ほとんどが安全面に関するものだ。
抜本的な解決策が見えない脳震盪が深い影を落としてるからだろう。
以前とは比べ物にならないくらいの開発スピードで新型ヘルメットが続々と登場しているが、効果はどうなんだろう?
若くて才能のある選手たちが、脳震盪を理由に、あるいはそれを恐れて健康なうちにと引退していく姿は、なかなか切ないものがある。
解決のための道筋が早く見つかるといいのだけれど。
聖ポール・ブラウン様が生きておられたら、なにか変革をもたらしてくれただろうか…

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