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タンパベイ・バッカニアーズ 50周年に1976 Creamsicle ユニフォームを復活

50周年を迎えるタンパベイ・バッカニアーズが、クリムシクルのユニフォームを復活させる。
それは、1976年、チーム発足当時にしか着用されなかったものだ。
あらためて、チームの歴史に潜ってみると、悪名高きクリムシクルの見え方も変わってくる。

The ’76 Jersey

Tampa Bay Buccaneers’ Iconic 1976 Uniform Returning for Franchise’s 50th Season

これまでも復活してきたCreamsicleのユニフォームだが、1976年は特別で、それはこれまで復活されることはなかった。
何が特別なのかといえば、それはカラースキームだ。
オレンジのナンバーに赤のアウトラインの組み合わせは、1976年だけのもの。
1977年以降は、赤のナンバーにオレンジのアウトラインの組み合わせに変更されている。

The 76 Jersey

ホワイトカラー大流行中の現在のNFLにおいては、オレンジが主流のカラースキームの方が、よりクリーンさが増して見える。
今となっては、当初の候補にあったグリーンが採用されなかったことでトーンがまとまって見える。

Bucco Bruce

僕が初めてバッカニアーズを目にしたのは、まだピューターなんてカラーに染まるとは想像だにできなかったCreamsicle時代のど真ん中だ。
カラースキームは、いかにもフロリダらしいと感心したが、ヘルメットのデカールが一体誰なのか見当もつかなかった。
バッカニアが海賊のことを指すのだと知ったのは、随分経ってからだった。

バッカニアまたはバカニア(英語: buccaneer [ˌbʌkəˈnɪər][2])は、17世紀にカリブ海で活動した海賊(私掠船含む)の総称。

バッカニア – Wikipedia

Bucco Bruceとは、バッカニアをイメージして作られたキャラクターのようだ。
しかし、当初のロゴのアイディアは、現在のCrossed Swords Jolly Rogerのたなびく海賊旗に近かったようだ。

Sparkman’s first creation was a skull and crossbones similar to the Jolly Roger. But Culverhouse rejected it and told him to try again.

The Origin of Bucco Bruce – Bucs Life

そうして19997年に、ようやく当初のアイディアがカタチになったことになる。
しかし、そのために試作されたヘルメットのデザインは、実に15タイプ!
ビッグビジネスの柱とはいえ、リブランドという作業も大変そうだ。
もう、誰かさんが紙ナプキンにサラサラ書いたスケッチを採用できるような牧歌的な時代じゃない。

1976 WELCOME TO THE NFL

Storylines of 1976 | Bucs History

クリムシクルのユニフォームは、長く復活することはなかった。
どんなによそのチームがスローバックの収益を上げていても、バッカニアーズが簡単に封印を解くことはなかった。
クリムシクルには、悪夢のような記憶がつきまとうからだ。
しかも、この悪夢は、ご丁寧に記憶だけではなく、記録も持ち合わせている。
1976シーズンに始まる26連敗はNFL最長であり、NBAのデトロイト・ピストンズが2023シーズンに28連敗の単独記録を樹立するまで、アメリカ4大スポーツにおいても、最長のワースト記録だった。
ちょっと計算すれば、おわかりのように、それは1シーズンでは達成できない。
2年にわたって負け続けなければ達成できないのだ。
その脆さとデザインが相まって、市販のアイスクリームのようだと揶揄され、クリムシクルのニックネームが決定づけられた。

現在よりもアバウトに行われたであろうエクスパンション・ドラフトでは、有望な選手を集めることができなかった。
動画に登場するスティーブ・スパリアも、49ersの30歳を過ぎたバックアップQBに過ぎなかった。
そんな選手が寄せ集めの新生チームのオフェンスを引っ張らなければならないのだから。
USCで成功を収めたHC ジョン・マッケイは、同様にランヘビーなオフェンスを試みようとし、人材不足を痛感していたスティーブ・スパリアは、パス攻撃を主張して確執が生まれたようだ。
のちにスティーブ・スパリアが、フロリダ大学のHCとして、バーチカルパスを前面に押し出したFun ‘n’ Gun攻撃で全米に名前を轟かせるようになるのも、面白い。

1979 FROM WORST TO FIRST

Storylines of 1979 | Bucs History

しかし、そんなチームが、4年目に地区優勝を遂げるのだ。
このスピード感は、ちょっと信じられない。
フランチャイズ初の全体1位指名選手だったDE リー・ロイ・セルモンが最優秀守備選手賞となる活躍で強力ディフェンスを引っ張った。
彼は、のちにチーム初のリング・オブ・オナーとなり、NFL100年のALL-TIME TEAM ROSTERにも選出されている。

100 All-Time Team: Defensive Line | NFL 100

そして、もうひとり。
2年目を迎えたQBの活躍によるものだ。
そう、ダグ・ウィリアムス。
アフリカ系アメリカ人のQBとして、はじめてNFLドラフト1巡目(全体17位)で指名され、アフリカ系アメリカ人として、はじめてスターターQBになった。

Quarterback
DOUG WILLIAMS

“I think I came at a perfect time for a lot of the young guys to say, ‘Hey I can do this.'” – Doug Williams

NFL 100 | NFL.com

のちのアフリカ系アメリカ人QBのために道を切り拓いたゲームチェンジャーへの風当たりは激しいものだった。
自チームのファンのみならず、コーチングスタッフからさえも人種差別の扱いを受けていたようだ。
だが、彼を守ったのも、またコーチだった。
当時、ジョン・マッケイのもとでOCを務めていたジョー・ギブスだ。

Head Coach
JOE GIBBS

“Whatever it took to win, he could adjust his personnel to do it.” – Dick Vermeil

NFL 100 | NFL.com

そもそも、ダグ・ウィリアムスの才能を見抜き、並み居るキャンディデートの中から彼の指名を進言したのは、ジョー・ギブスだったのだ。
この二人が、違うチームに移ったとはいえ、同じサイドラインでリングを獲得することになるなんて、なんとも感慨深い。
ギブスは、The quarterと呼ばれるNFL100年の歴史に残る猛攻を見せるダグ・ウィリアムスの投げっぷりを、どんな眼差しで見つめていたのだろう…

1987 – Redskins vs. Broncos
SUPER BOWL XXII

“In the second quarter we scored 35 points on only 18 plays.” – Doug Williams

NFL 100 | NFL.com

ジョン・マッケイ

Head Coach
JOHN MCKAY

“I had some of the greatest laughs I’ve ever had in my life, with coach McKay.” – Joe Gibbs

NFL 100 | NFL.com

彼らのHCだったのは、ジョン・マッケイ。
僕は、これまで彼のことをよく知らなかった。
ジョー・ギブスが部下としてついて、あんなに笑わせてもらっことはないと評するコーチってどんな人物だったんだろう。
彼は、NFL100年のグレートキャラクターとして37位にランクインしている。

カレッジで、いかに当時のUSCが無敵とはいえ、4度もナショナルチャンピオンに輝いている。
彼がほかのNFLチームの誘いを断って、バッカニアーズにやってきたのは、イチから新生チームを作り上げることができるからだった。
安直な成功と名声をを求めただけではないことは、彼のキャリアを見ればわかる。
彼は、歴史に残る26連敗の記録という汚名に耐えながら、地区優勝でやり返し、NFCのチャンピオンシップにまで漕ぎつけた。
途中で放り出してカレッジに逃げることもせず、1984年までHCを務め上げたのだ。

歯に衣着せぬ発言の一方で、ファンの前では、確執のあったスティーブ・スパリアも擁護し、ダグ・ウィリアムスに対する人種差別は一切許さなかった。
そうして、ダグ・ウィリアムスが他チームのバックアップQBより年棒が低いと知るや、フロントに怒鳴り込む。
優秀なコーディネーターというより、愛すべき、まさにコーチという存在。
こんな存在がいるのなら、クリムシクル時代は、決して暗黒時代なんかじゃない。

トニー・ダンジー

Head Coach TONY DUNGY “His style of coaching was something that a lot of people look up to.” – Dwight Freeney

NFL 100 | NFL.com

そうして系譜は繋がっていく。
最後にCreamsicle ユニフォームを知るHCは、トニー・ダンジーだ。
彼は、GMになっていたジョン・マッケイの末っ子であるリッチ・マッケイにより、HCに就任する。
彼が、モンテ・キフィンと作り上げたタンパ2と呼ばれる強力ディフェンスが、フランチャイズに悲願の#VLTをもたらすことになる。

NFL100年の歴史に名を刻むタンパ 2。 伝説のディフェンス・システムを作り上げた功労者。 リング・オブ・オナーとして、ファンにお披露目されたモンテ・キフィン。 彼のスピーチが印象的だった。 簡潔で、しかし十分にエモーショナルなスピーチには、彼の功績とキャラクターがしっかりと織り込まれていた。

NFL 2021 TB バッカニアーズ「 モンテ・キフィンのスピーチが印象的」 | ALOG

リッチ・マッケイの反対にもかかわらず、トニー・ダンジーは解雇されてしまう。
タンパ2をジョン・グルーデンに、まるまる譲り渡して…
だが彼は、やがてアフリカ系アメリカ人初のスーパーボウル勝利HCとなった。
これまたチームは違ったが…

ドジャースは、ドジャーBLUEというカラーしか存在しないように、ジャッキー・ロビンソンと契約をし、野茂英雄にマウンドを与えた。
バッカニアーズには、Creamsicleというカラーしか存在しないのかもしれない。
いや、それは、ジョン・マッケイにとってというべきなのかもしれないが…

著:Peters, Bobby
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